これはおいしいお寿司

No.55

お前とならどこへでも

-2024.6.30で出していた無配

 どさりと重々しい音を立てて、分厚いスクラップ帳が何冊も机に置かれた。
「これ、なんだ?」
「なんすか、それ」
「お前のだろ」
 レオナが持ってきたそれを、ジャックは首を傾げて見やる。しばらく表紙を眺めて、声を上げた。
「……あっ、俺のっす。中身、見ました?」
「いや、見てない」
 慌ててスクラップ帳をかき集め、両腕で隠すように抱きしめた。
「捨てないなら、そっちの段ボール」
「っす」
 ジャックはぎゅっと抱きかかえながら指示された段ボールに入れようとして、直前で動きを止めた。
「どうした、やっぱり捨てるか?」
「いや、捨てないっすけど……」
 レオナが指示した段ボールには『本』とだけ書かれている。レオナの学術書や辞書などを除いた小説であったり、ジャックが買い集めている漫画が既に入れられていた。
「これは別にしとこうと思って」
「ふうん」
 スクラップ帳を机に置き直して新しい段ボールを組み立てるジャックを、レオナは見つめていた。そしてジャックの目を盗んでスクラップ帳を開く。
「ちょ、人のモン勝手に見ないでくださいよ」
「ここに置くってことはどうしても隠したいモンじゃねえってことだろ。エロ本でもあるまいし」
「はあ、これだからあんたって奴は」
 段ボールの底にガムテープを貼り終えたジャックはため息をつき、それでもレオナからスクラップ帳を取り上げようとはしなかった。
「にしたって、今見なくたっていいじゃないすか」
「今見ないとしまっちまうだろ。向こうに着いたら思い出す暇もないだろうし」
 引っ越しの荷造り中に本やアルバムを見るのは禁止って言ったのあんただろうが。
 その言葉は呑み込んだ。ジャックだって久しぶりにあのスクラップ帳を見たいと思っていたのだ。
 新居へ引っ越すための荷造りを中断し、レオナがまじまじと見ているスクラップ帳を横から覗きこむ。
「……全部俺じゃねえかよ」
「そうっすけど」
「こりゃ一年のときの試合だな。若いわ」
「テレビに映った次の日の朝刊だったと思います。一面じゃなかったけど、スポーツ欄にでかでかと写真が載ってたっすね」
 ジャックのスクラップ帳には、箒に乗ってディスクを操るレオナの写真が貼られていた。
「ご丁寧にテレビ欄まで」
「特集ってほどでもねえっすけど、スポーツのコーナーでガッツリ映ってましたね。多分どっかに録画があると思うんすけど」
「あとで見るか」
「荷造り優先で」
 ぺらりとページをめくる。
「うさんくさい週刊誌もあんのかよ」
「コンビニに置いてある雑誌と新聞は全部確認しました。たまに電車の中吊りを見て、買い損ねた雑誌を買うこともありましたね」
「〝夕焼けの草原の第二王子、進級を逃す、王位継承も逃すか〟――ひでえ言われようだ」
「ゴシップ誌っすからね」
「ダブる前から三番目になってたっての。こんなモンまで取っておくなよ」
 あくびをした瞬間を捉えられた自分の写真を指先で弾いて、レオナは口を尖らせた。
 ジャックは笑って「こんな記事読んでも、ずっと憧れてたんすよ、俺」と写真の中のレオナをなぞった。
「あんたのマジフトの試合は、録画したやつを何遍も見て、新聞も雑誌も何度も読み返して。それでも足りないから、名前が一度でも載ってる記事を集めて。懐かしいな」
 授業をサボる、上級生を顎で使う、留年する、王室に叛意か、妖精の次期王に膝を折る――。
 レオナに好意的な記事はごく僅かで、ほとんどは醜聞だった。幼い頃のジャックは、そのすべてをスクラップしていた。
「こんなの三年間読み続けて、そんで俺に憧れて入学してきたって。馬鹿か?」
「馬鹿なんじゃないっすか?」
 呆れたように笑うレオナに、ジャックは微笑んだ。
 確かに馬鹿だったのだ。どのような証拠があろうと、この目で見るまで決して悪評は信じない、と。
 入学して、記事の多くは誇張されていたものの、そのほとんどが真実であると知った。ジャックの思い描く『ちゃんとした人』ではなく、文字通りぐうたらな生活を送る人で、おまけに卑怯な手を使うときた。
 失望に次ぐ失望である。
「馬鹿だから、今ここにいるのか」
「そうかもしれないけど……それ、人のこと言えるんすか?」
「俺も相当の馬鹿だってことか」
 ジャックが思わず吹き出すと、首にかけたチェーンの先で指輪が揺れた。
 大きく開いた窓からは、夏の陽射しと風が侵入してくる。
「それにしても、こんな小せえ部屋にどれだけ物があるんだよ。段ボール足りるか?」
「この年代の一人暮らしはこんなモンっすよ。犬小屋レベルかもしんねえけど。って、物が多いのはほとんどあんたが持ち込んだ本のせいだろ。ここで仕事すんのやめろって言ったのに」
「出張のついでに寄ったって言ってんだろ」
「でもリモートのときだってうちで仕事してんじゃないっすか」
「こっちのほうが資料多いからだろ」
「全部あんたが持ち込んだからだろうが」
 学校を卒業し、就職したジャックは地元で一人暮らしを始めたが、しょっちゅうレオナが部屋を訪れては物を増やし、いつの間にか生活を侵食されていた。
「結局週のほとんどをここで寝てるし」
「ベッド買い換えてやったし、生活費の半分以上出してるのに何が悪い」
「狭い」
「だから広いとこ行くんだろ」
 やけに豪華なキングサイズのベッドは、小さな部屋の半分以上を占めていた。今はマットレスも毛布もなく、枠だけが残っている。
「しばらく引っ越すつもりなかったのに」
 ジャックは、この小さなアパートが気に入っていた。住民は穏やかな人が多く、近所の人たちとも居心地のよい距離を保てていた。独身者専用なのに二人暮らしのような生活をしていることに関しては、大家は笑って見逃してくれた。
 窓から外を見る。
 隣のアパートの壁に塞がれたこの景色とも、今日でお別れだ。
「……嫌か?」
 機嫌を取るように伺うレオナの顔が珍しくて、センチメンタルな気持ちは吹き飛んだ。面白いくらいに下がった眉尻を指で上げてやる。
「おいこら」
「寂しいと言えば寂しいっすけど、住む地域も部屋も一緒に決めたし、家具だって一緒に見た。引き返せるときに引き返さなかったのは俺の意志です」
 伏せられた耳に唇をつけてやれば、レオナはすぐ機嫌よく笑い、ジャックの胴体を両腕で引き寄せた。ジャックもレオナの体に腕を回す。
 夏でも窓を開けるだけで、こうして体を寄せても暑くない、この土地が気に入っていた。新居はもう少し気温が高い場所だ。エアコンを入れないと触れ合うのが難しいかもしれない。
「なあ、俺がお前を知る前から、お前は俺を知ってただろ」
 耳元でレオナの静かな声が聞こえる。
「俺の知らないお前は、どこでどう生きてたんだろうな」
「俺が人伝にしか知らないあんたは、実際どう生きてきたんすか」
 知っているようで何も知らなかった三年を埋めるように、レオナの名前を知らなかった長い年月を埋めるように。ジャックはレオナの肩に額を置き、腕に力を込めた。
 スクラップ帳がどれだけ厚かろうと、何冊あろうと、本物のレオナと出会ったのはNRCの入学式だ。レオナが存在していることを実感したあの日だ。
「そりゃあもう、ぐうたらと」
「たくさん勉強して、たくさんマジフトして、そんで寮長になったんすよね」
「言い換えればそうなるな」
 首にレオナの息がかかり、くすぐったい。
「お前はたくさん食べて、たくさん走って、たくさん筋トレして、俺の前に現れたんだよな」
「はは、正解」
 レオナのためだけに生きてきたわけではないが、あの日々がレオナの隣にいる今日に繋がっていた。
「昔の記事じゃなくて、違うもの見ませんか」
 レオナの肩に額を置いたまま、言った。
「なんだ?」
「そこの棚にあるんすけど」
 ぎゅう、とレオナはジャックを抱きしめたまま黙り、名残惜しそうに腕を放した。
「そこの上の、それ」
「あっちの観光案内か?」
「役所行ったとき、置いてあったんです。地域の観光スポットとか、ちょっとした公園とかカフェの地図があって。まあ、あとはゴミ捨ての日とかも書いてあるんすけど」
 指示された冊子を取ってきたレオナは、ジャックの隣に座り直しながら不思議そうに表紙を眺めた。
「あそこに観光名所とかあんのか?」
「デカいスポットってわけじゃねえっすけど。歴史的建造物ってやつがあったり、祭りがあったりするらしくて」
 ジャックはレオナに冊子を開くよう促した。
「都市に近いだけだと思ってたが、結構いい街なんだな」
「そう。ここの公園、筋トレできるんすよ」
 冊子の中で三つ折りになっていた地図を広げ、あらかじめ丸をつけていた場所を一つ一つ指差す。
「このルートでランニングすると、公園を間に挟めます」
「図書館はわりと近いな」
「走って行ける距離っすよ」
「車で行くわ」
「走れるのに。ちょっと体力なくなってきました?」
「さすがに学生のときのままとはいかねえよ」
「ええ、俺は筋肉増えましたけど」
「お前はまだ若いだろ」
「たった四つっすよ」
「四年は長えよ」
 ぐしゃりとレオナはジャックの髪を掻き回して笑った。
「まあ、そうですね。今思えばハタチのレオナ・キングスカラーはかなり子どもでしたね」
「年取ったらすぐそう言うんだよな、ガキは」
「何年前に成人したと思ってんすか」
「お前はいつまでも四つ下の子どもなの」
「子ども相手に口説く大人がよく言いますね」
 口を尖らせると、レオナにぎゅっと摘ままれる。
「ってえ。あ、そうそう。この店ずっと行ってみたかったんすけど、この街にあるんですよ」
「カフェか?」
「そう。熱砂の国にしかなかったんすけど、海外展開の第一店舗がここらしくて」
「意味わかんねえところに出すんだな」
「都市に近くて静かなとこに出したかったらしいっすよ。引っ越したら行きませんか」
「おう」
 ポケットに入れていたペンで、カフェのあたりをぐるぐると何重にも丸を描く。
「あと、珊瑚の海のどこかの地域と姉妹都市らしいんです」
「うげえ」
「その繋がりで、珊瑚の海行きのチケットがここの住民限定で安いんで旅行したいっすね」
「ええ……」
「あの人たちは珊瑚の海に店舗出してないじゃないっすか。出くわすことはそうそうないはずなんで、ヤな顔しないでくださいよ」
 着々と陸上で店舗を増やしつつある、かつての悪名高い三人組を浮かべているであろうレオナはしかめっ面をしていた。
「あと、この異国の食べ物を積極的に仕入れてるっていうスーパーマーケットにも行ってみたくて、それとこの通りでは毎週日曜に市場が開かれるらしくて」
 地図を次々に指差していくと、こらえきれなくなったようにレオナは笑い出した。
「お前、下調べたくさんしてんだな」
「何が面白いんすか」
「いや、思ったより楽しそうな街だなと」
「調べればどんなとこだって面白い場所の一つや二つはありますよ」
「そうじゃなくて。俺はお前がいたらどこだっていいんだが。お前さえいたらどんな街でも楽園だから、交通の便とか仕事場との距離しか見てなかったわ」
 レオナの手がジャックの頬に触れる。少し温度が低く、かさついた感触がなんとも愛おしい。
 レオナが土地のことをジャックよりも調べていたのは知っていた。過去の災害歴だとか、周辺の川の場所や開発の歴史、治安の善し悪し、果てに狙っていたマンションの住民の性格まで徹底的に調べていた。そして、季節ごとの平均気温や病院の場所、夏に熱中症で運ばれる人数も当然のように過去数十年の記録を集めていた。
 だからジャックは二つ返事で、引っ越しの提案を受け入れたのだ。
「俺も二人でいられるならどこでも幸せだって思ってるんですけど。でも、せっかくだからって街のこと調べたら行きたい場所がたくさんあって。そのどれも一緒に行きたくって」
 娯楽を二の次に、穏やかで安心できる生活を整えたレオナの代わりに、街の楽しみをジャックは探した。不思議とどんな場所でも、レオナと時間を過ごす未来が思い浮かんだ。
「レオナさん、これから三年と言わずずっと一緒にいるんだから、行きたい場所たくさん作っていきましょ」
 頬に触れるレオナの手に自身の手を重ねた。レオナの指に光る指輪が少し冷たい。
 自然と距離が縮まり、互いの呼吸を交える。
 熱い息を吐くと、どちらからともなく笑った。
「さて、荷造りの続きしないと」
「業者は明日の午前だったか?」
「そうですよ。朝イチなんで、寝坊しないでくださいよ」
「いつの間にか頭数に入れられてるし」
「今日泊まっていきますよね?」
「マットレス外したのにどこで寝るんだよ」
「地べたやら椅子やらで寝てた人が、今さら床で寝られねえとか、そんなことないっすよね」
 ジャックは嫌そうな顔をするレオナを尻目に、スクラップ帳を新しい段ボールに入れる。そしてペンを片手に少し考え、段ボールに思い出と書いた。

JUNE BRIDE
頒布2024.6.30

レオジャク,SS

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