これはおいしいお寿司
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No.73
みぞれ
-泣かない
「今日は昼食の時間にジャックくん見なかったッスね」
「部活の大会だとよ」
今朝、前髪をしっかり上げて張り切って寮を出ていったジャックを思い出しながら、レオナはラギーに答える。二人は午後の授業に出席するために大食堂から教室へ移動していた。
「うぅ、こんな日にほぼ下着みたいな面積のユニフォームで走るなんて、酔狂にも程があるッスよ」
ラギーは両腕で自分の肩を抱き、身震いする。
「ほかの草食動物共は知らねえが、あいつは雪国出身だ。このくらい慣れてるだろう」
レオナは歩みを止め、廊下から薄曇りの空を見上げて目を細めた。今日は雪が降りそうなほど空気が冷たい。こんな日は植物園の温帯ゾーンで眠るに限る。
「確かにそッスね」
ふらり、レオナは植物園の方向へ足を進めようとするが、ラギーにがっちり腕を取られる。
「レオナさんの教室はこっちッス」
仕方がない。レオナは暖房の効いた教室でぐっすりと眠ることにした。
授業が中盤を過ぎた頃、ぽたりぽたりと雨よりすこし重い水音が教室の外から聞こえてきた。その不規則な音はうつらうつらしていたレオナを本格的な眠りに誘い、気づけば授業は終わっていた。開きもしなかった教科書とノートを鞄に入れ、レオナは教室を出る。廊下に出た途端に凍えるような寒さに襲われた。暖かな教室に未練を残しながら体をすくめて校舎を出れば、あたりは真っ暗になっていた。いつもならまだ夕暮れの時間だが、今日は太陽が顔を出さないまま一日が終わるらしい。
ぽたり、ぽたり。
雨よりすこし大きな白い粒が落ちてきて、地面に溶ける。
みぞれだ。
どうりで寒いわけだ。
授業中に聞こえていた音の正体を知ったレオナは、ポケットに両手を突っ込んで足早に鏡舎への道を急ぐ。
溶けきらない氷の粒が足元でぐちゃりと音を立てる。濡れるのを嫌がって走り、滑って転ぶ生徒がちらほら出てきた。雪用の靴を履いてくればよかったと少し後悔しながらレオナは注意深く足を運ぶ。
と、足を滑らせてつんのめった生徒がレオナにぶつかってきた。
ポケットに両手を入れていたレオナは突然のことにバランスを崩して大きくよろめき、近くの別の生徒にぶつかる。幸いにもぶつかった相手が受け止めてくれたおかげで転ばずに済んだが、びっしょりと濡れている相手の服がレオナの顔に貼りついた。最悪の気分になったレオナが元凶の生徒に悪態をつきながら体勢を立て直すと、上から声が聞こえる。
「レオナ先輩……?」
レオナを受け止めてくれたのはジャックだった。
大会が終わったばかりなのか、まだユニフォームを着たままだ。さすがに寒いのか、ユニフォームと同デザインのジャージに袖を通している。
「授業終わりっすか? 今日はこのあともっと冷えるみたいなんで、もしかしたら雪になるかもしれないっす。その前に寮に帰ったほうがいいっすよ」
街灯の灯りが逆光となり、ジャックの表情は見づらい。ジャックはいつもよりやけに早口で、饒舌だった。
レオナはジャックの手を取る。いつもレオナより体温の高い手が、今はがちがちに冷たく小刻みに震えていた。そっと両手で包み込むと、ジャックもまたもう片方の手をレオナの手に添える。そして手に向けて温かい息を吐いた。
「これで少しは温かくなりますか」
ジャックは白い息を吐きながら微笑んだ。逆光のせいだろうか、その笑みに陰を感じる。レオナの手は、冷え切っているジャックの手に包まれているせいでちっとも温かくならない。苛立ちを覚え、レオナはゆっくりと口を開いた。
「……いつから外にいた」
思っていたより低い声が出る。
「え、さっき帰ってきた、ところっす」
じろりと睨むと、ジャックの目がわずかに泳ぐ。
「土砂降りでもあるまいし、数分でジャージがここまで濡れるわけがねえ」
「それは、その」
「三十分以上もここで何をしていた」
体温で溶けたみぞれが、滴となりジャックの髪から顔を伝って地面へ落ちた。朝は後ろに撫で上げられていた前髪が、乱れて垂れてきている。レオナは手をほどき、ジャックの顔にかかる前髪を撫でつける。
「やっぱりレオナ先輩に隠し事はできねえっすね」
しばらくジャックは黙っていたが、やがて乾いた笑い声を漏らした。
「今日の大会、決勝進出は決めたんすけど、しくっちまって」
笑いながら話していたが、みるみるうちにジャックの顔が険しくなっていくのが暗がりの中でもわかった。レオナはジャックの髪を黙って撫で続ける。
「二位通過、でした」
喉から絞り出したようなジャックの声は、震えて湿っていた。
「ほかの選手より寒さに慣れているから有利だと、油断しちまいました」
「そうか」
「悔しい、っす」
「そうだな」
ジャックの目に涙はなかった。
「次は優勝するんだろ」
「っす」
きりりと吊り上げた目尻には、既に立ち上がっているジャックの闘志が揺らめいていた。
「それでこそお前だ」
レオナは冷たいジャックの鼻先にそっとキスをした。
「帰るぞ。いい加減さみい」
「はい、レオナ先輩!」
ずっとうなだれていたジャックの尻尾が元気に飛び起き、あたりに滴を飛び散らせた。
Twitter投稿2025.12.4
レオジャク
,
SS
2026.1.15
No.73
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「部活の大会だとよ」
今朝、前髪をしっかり上げて張り切って寮を出ていったジャックを思い出しながら、レオナはラギーに答える。二人は午後の授業に出席するために大食堂から教室へ移動していた。
「うぅ、こんな日にほぼ下着みたいな面積のユニフォームで走るなんて、酔狂にも程があるッスよ」
ラギーは両腕で自分の肩を抱き、身震いする。
「ほかの草食動物共は知らねえが、あいつは雪国出身だ。このくらい慣れてるだろう」
レオナは歩みを止め、廊下から薄曇りの空を見上げて目を細めた。今日は雪が降りそうなほど空気が冷たい。こんな日は植物園の温帯ゾーンで眠るに限る。
「確かにそッスね」
ふらり、レオナは植物園の方向へ足を進めようとするが、ラギーにがっちり腕を取られる。
「レオナさんの教室はこっちッス」
仕方がない。レオナは暖房の効いた教室でぐっすりと眠ることにした。
授業が中盤を過ぎた頃、ぽたりぽたりと雨よりすこし重い水音が教室の外から聞こえてきた。その不規則な音はうつらうつらしていたレオナを本格的な眠りに誘い、気づけば授業は終わっていた。開きもしなかった教科書とノートを鞄に入れ、レオナは教室を出る。廊下に出た途端に凍えるような寒さに襲われた。暖かな教室に未練を残しながら体をすくめて校舎を出れば、あたりは真っ暗になっていた。いつもならまだ夕暮れの時間だが、今日は太陽が顔を出さないまま一日が終わるらしい。
ぽたり、ぽたり。
雨よりすこし大きな白い粒が落ちてきて、地面に溶ける。
みぞれだ。
どうりで寒いわけだ。
授業中に聞こえていた音の正体を知ったレオナは、ポケットに両手を突っ込んで足早に鏡舎への道を急ぐ。
溶けきらない氷の粒が足元でぐちゃりと音を立てる。濡れるのを嫌がって走り、滑って転ぶ生徒がちらほら出てきた。雪用の靴を履いてくればよかったと少し後悔しながらレオナは注意深く足を運ぶ。
と、足を滑らせてつんのめった生徒がレオナにぶつかってきた。
ポケットに両手を入れていたレオナは突然のことにバランスを崩して大きくよろめき、近くの別の生徒にぶつかる。幸いにもぶつかった相手が受け止めてくれたおかげで転ばずに済んだが、びっしょりと濡れている相手の服がレオナの顔に貼りついた。最悪の気分になったレオナが元凶の生徒に悪態をつきながら体勢を立て直すと、上から声が聞こえる。
「レオナ先輩……?」
レオナを受け止めてくれたのはジャックだった。
大会が終わったばかりなのか、まだユニフォームを着たままだ。さすがに寒いのか、ユニフォームと同デザインのジャージに袖を通している。
「授業終わりっすか? 今日はこのあともっと冷えるみたいなんで、もしかしたら雪になるかもしれないっす。その前に寮に帰ったほうがいいっすよ」
街灯の灯りが逆光となり、ジャックの表情は見づらい。ジャックはいつもよりやけに早口で、饒舌だった。
レオナはジャックの手を取る。いつもレオナより体温の高い手が、今はがちがちに冷たく小刻みに震えていた。そっと両手で包み込むと、ジャックもまたもう片方の手をレオナの手に添える。そして手に向けて温かい息を吐いた。
「これで少しは温かくなりますか」
ジャックは白い息を吐きながら微笑んだ。逆光のせいだろうか、その笑みに陰を感じる。レオナの手は、冷え切っているジャックの手に包まれているせいでちっとも温かくならない。苛立ちを覚え、レオナはゆっくりと口を開いた。
「……いつから外にいた」
思っていたより低い声が出る。
「え、さっき帰ってきた、ところっす」
じろりと睨むと、ジャックの目がわずかに泳ぐ。
「土砂降りでもあるまいし、数分でジャージがここまで濡れるわけがねえ」
「それは、その」
「三十分以上もここで何をしていた」
体温で溶けたみぞれが、滴となりジャックの髪から顔を伝って地面へ落ちた。朝は後ろに撫で上げられていた前髪が、乱れて垂れてきている。レオナは手をほどき、ジャックの顔にかかる前髪を撫でつける。
「やっぱりレオナ先輩に隠し事はできねえっすね」
しばらくジャックは黙っていたが、やがて乾いた笑い声を漏らした。
「今日の大会、決勝進出は決めたんすけど、しくっちまって」
笑いながら話していたが、みるみるうちにジャックの顔が険しくなっていくのが暗がりの中でもわかった。レオナはジャックの髪を黙って撫で続ける。
「二位通過、でした」
喉から絞り出したようなジャックの声は、震えて湿っていた。
「ほかの選手より寒さに慣れているから有利だと、油断しちまいました」
「そうか」
「悔しい、っす」
「そうだな」
ジャックの目に涙はなかった。
「次は優勝するんだろ」
「っす」
きりりと吊り上げた目尻には、既に立ち上がっているジャックの闘志が揺らめいていた。
「それでこそお前だ」
レオナは冷たいジャックの鼻先にそっとキスをした。
「帰るぞ。いい加減さみい」
「はい、レオナ先輩!」
ずっとうなだれていたジャックの尻尾が元気に飛び起き、あたりに滴を飛び散らせた。
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