これはおいしいお寿司

No.5

雷火

–もう一度あのハロウィンを 絵の中に吸い込まれてしまったスカリーとセベクの話

 慌ただしいハロウィーンが終わり、学園はゆっくりと日常の落ち着きを取り戻しつつあった。
 期間中、セベクは己を律しなければと思いつつ、イベント特有の浮ついた空気に、ともすれば飲み込まれそうになっていた。そのたびに背筋を伸ばし直しながら、自身に嫌気が差していた。護衛たる者、どのような環境であれ常に緊張感をもっていなければならないというのに。部外者が多く立ち入っているからこそ、もっと気を引き締めなければ――もっともリリアには、こういうときくらい楽しめと言われたのだが――。
 だから、ハロウィーンという大きなイベントが終わったことに、ホッとしていた。
 ようやく、平穏な日常に戻ることができる――はずだったが、どうしても心がハロウィーンに置き去りになっていた。日常を取り戻すには、あと一ピース足りない。
 ある日の放課後、セベクはそのピースを手に入れるためにオンボロ寮に向かった。

「珍しいね。君がうちに来るなんて」
 ドアベルを鳴らすと、訝しげな目つきの監督生に出迎えられた。
 それもそのはず、普段から必要以上に話したことがない。授業がかち合ったときに、一言二言交わすのみだ。互いのプライベートなスペースに訪問し合うなど、想像すらしたことがない。
「ハロウィーンの心残りがここにあると聞いた。突然で悪いが、入らせてもらうぞ」
 だが監督生は嫌がる素振りを見せず、玄関の扉を大きく開いた。いつもこうして大した警戒もせず、親しくもない人を招き入れていることは容易に察することができた。その無防備な様子に内心呆れながら、ここで追い返されても困るので、セベクは物申したい衝動を堪えた。
「心残り?」
 ハロウィーンは先週終わっただろ、いつまで浮かれポンチなんだ、と監督生の目が言っている。気がする。
「人間、学園長が引っ張り出してきた肖像画はどこにあるんだ?」
「ああ、セベクも気になってたんだ。ハロウィーンが終わったからってまた倉庫にしまい込むのも気が引けるって学園長に押しつけられてね。談話室に飾ってあるよ」
「見せてくれないか」
「いいけど」
 すたすたと歩き出す監督生の後ろをついていく。
 オンボロ寮はその名にふさわしく、どこもかしこも古びていた。これでも少しはマシになったのだと、グリムがハーツラビュルの連中に言っているのを小耳にしたことがあるが、今以上に酷いとなると廃墟も同然だろう。掃除が行き届いていないのか、カビと埃の臭いが鼻につく。祖父の家にある古い倉庫の臭いを思い出した。とても人が住む場所とは思えない。うっかりマレウスが足を踏み入れることのないようにしなければ。
「はい、あそこに飾ってる」
 招かれた部屋は、普段から使っているらしい談話室だった。いくらか小綺麗な生活の気配があり、なるほど、少しはマシだった。
 薄っぺらなラグを踏み、壁に飾られた絵に近付いた。
 ハロウィーンの期間中、仰々しく飾られていた絵が、ぽつんと壁にかかっている。
「これが君の言う心残り? なんだか気になっちゃうのはわかるけど」
「ああ……僕は、これをもう一度見ないといけないと思っていたんだ」
 不思議な形の額縁に嵌められた絵の住人の瞳が、セベクを見つめる。
 初めて絵を見た日から、この真っ赤な瞳が頭から離れなかった。ハロウィーンが終わっても、ずっと赤い瞳の彼が出る夢ばかりを見た。彼は笑っていたり泣いていたり、はたまた激怒していたりと日によって内容は違っていた。寝起きは良いのに、真夜中に突然目が覚めたり、浅い眠りを繰り返して寝坊したりする日が続いた。日を追うごとに、もう一度あの絵を見たいという欲は増していく。見に来てほしい、見なくてはいけないと、彼に夢で語りかけられているような気がしていた。
「そう。まあ、好きなだけ見ていったら。上の部屋で勉強してるから、帰るときは声かけて」
 肖像画から目を離せないでいるセベクに気を遣ったのか、監督生は談話室から出て行った。
 静かな部屋に二人……いや、一人きりになった。
 セベクの目線とほぼ同じ位置に飾られた絵の赤い瞳は、まるで意志を持っているかのようにセベクを向いている。見られていると勘違いしてしまいそうだ。
 きりりと不敵に吊り上がった目尻と口角は、ハロウィーンの王と称されるにふさわしい威厳を感じさせ、軽率に人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。それでいて、なぜか親しみと懐かしさを感じる。初めて絵を見た日と同じように。
 油絵の具の香りが鼻を突いた。
 時間も忘れて見入っていると、赤い瞳がにんまりと弧を描いた。
 心臓が跳ねる。
 思わず一歩下がり、マジカルペンが胸ポケットに入っていることを確かめた。
 絵に描かれた生き物が動くのは驚くことではない。ただ、急に動いたから咄嗟に身構えただけで、決して怯んだわけではない――。
「ああ、どうか驚かないで。我輩から離れないでください」
 絵の人物は瞬時に悲しげに眉を下げ、セベクに向かって手を伸ばした。が、絵の中の手は額縁から出てくるはずもなかった。
「貴様……いや、貴方は確か」
「……我輩はスカリー・J・グレイブス。この良き出会いにキスを」
 吟味するようにセベクをじっくり見て、それからうやうやしく礼をするスカリーに目眩を覚えた。紳士のような優雅さには感心させられるが、それにしても歯が浮くような言葉遣いだ。随分古い時代の人だと聞くから、当時の言い回しなのかもしれない。
 歳は若そうだが、この落ち着いた姿勢は老成しているようにも見える。妖精のように外見と年齢が一致しにくい種族なのだろうか。
「僕はセベク・ジグボルト。ディアソムニア寮の一年だ」
「セベクさん、セベクさん、ですね」
 スカリーは悲しげな表情から一転、嬉しそうにセベクの名を繰り返した。
 久しぶりに人と話せて浮かれているのだろうと、セベクは気にも留めなかった。
 それにしても、コロコロと表情がよく変わる。既にハロウィーンの王の威厳は面影もなかった。
「我輩は長く生きたとはいえ、この絵は若かりし時分を描いたもの。どうか同い年のように、気軽にお話してください」
 一方的な親しみを覚えているものの、相手は古い偉人である。マレウスほどでないにしろ、畏敬の念を込めて接したほうがよいと思ったが。
「グレ……いや人間……いや、スカリーがそれでいいと言うなら、そうしよう」
 どの程度の距離感の振る舞いをすべきか迷い、無難に名前を呼ぶことにした。
 セベクは近くの椅子を絵の前に持ってきて、座る。
 それを見てスカリーは頬を緩ませた。
「セベクさん、今学園ってどんな雰囲気ですか?」
 スカリーは朗らかに、それでいて探るような目つきで聞いてきた。
「雰囲気か……? ハロウィーンが終わって少し落ち着いてきたところだ。次は期末テストが待っているから、ハロウィーンに専念して勉強できなかった時間を取り戻さなくてはならない」
「そうですか。今年のハロウィーンは楽しかったですか?」
「ああ。スカリーもあの賑わいは見ていただろう。ここのハロウィーンは初めてだが、様々な地域の人間が集まって作るから、まったく統一感がなく混沌としていた。寮の特色と生徒個人の文化が調和しているとも言えるし、不協和音を奏でていたとも言える。だが、おそらくその混沌さがこの学園のハロウィーンなのだろう。当然、一番素晴らしい展示をしたのはマレウス様率いる我がディアソムニア寮だがな」
 セベクは今年の各寮の展示物を思い出しながら、やはり自寮が一番であったと鼻を高くした。
 マジフト大会のように順位がつけられるわけではないが、寮の威信をかけているとも言われるこのイベント。他寮に負けじとピリピリしながら企画を立て、あーでもないこーでもないと議論を交わし、時に揉めながら準備を進めて当日を迎える。
 どこの寮生も口を揃えて自寮が一番だと胸を張る。時にそのプライドのせいで乱闘になることもあるが。
「ハロウィーンを多くの人が楽しんでいたのですね」
 スカリーは目を細め、頬を綻ばせた。
 生前の苦労が報われて嬉しいのだろう。
「僕の故郷でもハロウィーンは大きな祭りだ。それも、広めてくれたスカリーのおかげだろう」
「我輩のおかげ、ですか」
 スカリーは両頬に手を当てて笑いながら、セベクをじっと見つめる。
 セベクは鮮血色の瞳から、また目が離せなくなる。
「時に素敵なお方、我輩とハロウィーンの物語に、別の逸話が存在していることをご存じですか?」
 スカリーに尋ねられ、我に返る。
 慌てて聞かれた言葉を脳内で咀嚼し、言葉を選び発する。
「別の? いや、僕はスカリーがハロウィーンを各地に広めたということしか知らない。表舞台に出ることを好まないと聞いたが、貴重な話は是非とも聞いてみたい。そしてマレウス様もご興味はあるはずだから、僕から貴様の偉業をお伝えしよう」
「是非とも聞いてくれると嬉しいです。また今度お話しましょう。セベクさん、そろそろ外が暗くなる頃ではないでしょうか」
「あ、ああ、そうだ……長居しすぎた」
 スカリーに言われ、曇っているガラス窓から外を覗けば、西の空が橙から紺へグラデーションがかっていた。
「また訪ねる、かもしれない。今日はここで帰るとする」
 セベクは立ち上がり手を差し出してから、握手ができないことに気づき、慌てて戻した。
「はい、また今度。いつでもお待ちしています」
 スカリーは胸に手を当て、優雅に微笑んで一礼した。
 監督生に声をかけ、多少は手入れのされた廃墟を出る。
 後ろで重たい扉の閉まる音が聞こえた瞬間、冷たい汗がどっと噴き出した。
 あの赤い瞳と目を合わせると、何も考えられなくなってしまうようだ。冷静に会話をしていたはずなのに、宙にふわふわと浮いている感覚があった。心臓は警戒しているように、始終鼓動が早いままだった。
 危険な男だと全身が訴えかけている。
 二度と、二度とスカリーに会うものか。
 一日の残りはまだ長いというのに、冬の夕暮れは早い。沈みゆく太陽を追いかけるように、オンボロ寮から足早に離れた。

 一度あの絵を見に行けば、たちまちすべてが解決すると思っていた。
 日常生活に支障をきたし始めているから、わざわざ遠いオンボロ寮まで出向いたというのに。
 スカリーの絵を見に行ってから数日経っても、なおセベクは赤い瞳の夢を見ていた。
 酷いときは、日中であっても少し目を瞑れば瞼の裏にスカリーが現れる。
 放課後は気づけば、オンボロ寮の入り口に立っていることが数度あった。どうして自分がそこにいるのかわからない。無意識にドアベルを鳴らそうとして、そこで我に返り慌てて校内に戻る。
 一週間ばかりそうしていただろうか。
 シルバーに顔色が悪いと指摘された。
 確かに充分な時間眠れていない日が続いていたが、自覚していることについて、とやかく言われたくなかった。
 かっとなり、つい強い口調でシルバーに食ってかかった。シルバーはいつものように冷静でおおらかで、セベクの幼稚な言葉を黙って受け止めた。それが嫌に余裕があるように見えて、さらに腹が立つ。
 シルバーと無意味に諍いを起こした結果、リリアに呆れた顔で諫められた。
 そして、やはり顔色が悪いと言われた。リリアにも言われたならどうすることもできない。マレウスにまで余計な心配をかけてしまう前に、対処するしかなかった。
 二度と見たくないから避けていたというのに、周りのためにも会わなくてはいけない。
 次、あの赤い瞳を見てしまったらどうなるかわからない。事態が好転すればいいのだが、そうなるとは思えない。
 それでも行くしかなかった。
 休日の朝、セベクはオンボロ寮へと向かった。
 重い心とは裏腹に、足は軽い。
 まさか、スカリーに会いたがっているとでもいうのだろうか。
 言うことの聞かない体を恐ろしく感じたが、これ以上周りに迷惑をかけるわけにはいかないと、足を進める。
 オンボロ寮のドアベルを鳴らすと、やや待ってからゆっくりと扉が開いた。
「あのさ。休みの日くらいゆっくり寝たいんだけど」
「もう九時だぞ。充分遅い時間ではないか」
 監督生はいかにも寝起きといったぼやけた顔と、襟がよれたぶかぶかのTシャツで現れた。
 だらしないその姿に、思わず顔をしかめる。
 マレウスにこのような人間と接点があるとバレてしまったら、同類だと思われかねない。この人間とマレウスを決して近付けないことと、間違っても親交があると勘違いされないことを意識せねば。
「これだから社会適合者はよ。で、今日の用件は?」
 監督生は、覚醒しきらず半眼に開いた目でセベクを上目に見た。機嫌が悪そうだ。
「またあの肖像画を見せてほしい」
「……一回きりじゃなかったんだ」
「一回きりとは言ってないだろう!」
「うっせ。寝起きに染み渡るいい声しやがる」
 監督生の言葉に思わず声を大きくした。
 本当は一回で済ませるはずだったのだと言いたかったが、それを言うと眠れない話やリリアに迷惑をかけた話まで言ってしまいそうで、自ら恥部を晒すわけにはいかなかった。
「絵が気に入ったんなら、そう言えばいいのに」
「別に気に入ってなど」
「まあ、いいよ。入って」
 セベクの言葉を遮り、監督生は扉を大きく開けた。
「場所覚えてる? 二度寝してくるから勝手に見て勝手に帰っていいよ。次、休みの日に来るなら午後にして。午前中に来たら絶対入れないから」
 人が良いのか悪いのか、今追い返せばいいものを、今回は見逃すと言う。自分の主張を通せない人間はこの学園でやっていけないのに、愚かで軟弱な有様を隠そうともしない。
 セベクが何をするかもわからないのに、信用しきっているのか、ただ警戒心がないだけなのか、監督生は大あくびをして、談話室に案内もせず暗がりの階段に姿を消した。
 呆れてほとほと声も出ない。
 うまい生き方を教えてやらねば、この先やっていけないかもしれない。
 セベクはため息をついて、先日の記憶を辿って見覚えのあるドアを開いた。
 談話室は衣類や食べ物で散らかっていた。
 明日は休みだから後回しにしてしまえ、と昨晩そのまま寝てしまったに違いない。
 雑物を軽く隅に寄せて、絵に近付く。
 スカリーは変わらず、描かれたときの表情でこちらを見ていた。
 意を決して赤い瞳に目を合わせる。
 数秒。
 スカリーが瞬きをした。
 ゆっくりとまん丸に目を見開き、口角を吊り上げた。
「セベクさん! また来てくださったのですね!」
 スカリーの顔が華やいだ。
 セベクが会いに来たことを喜んでいるのだと、顔全体で表していた。
「あれからどれくらい経ちましたか、指折り数えておりましたが、なかなかお顔を見られず……」
 しおしおと眉を下げて一、二と指を折ってみせるスカリーに少しばかりの罪悪感がもたげる。
「ふ、普段から授業や護衛で忙しいのだからな。仕方ないだろう」
「忘れられてしまったらどうしようかと……」
「ここにきちんと来ただろう!」
 二度と訪れないと決心していたことをなかったことにして、今にも泣きそうに両手で顔を覆うスカリーに憤慨した。
「ハロウィーンの話を聞くという約束を守りに来たのに、僕に対して失礼だろう!」
 言えば言うほど、後ろめたい気持ちが強くなっていく。
 自分が自分でいられなくなるような危険な人物が、目の前で弱々しい姿を見せるのが悪い。やはり来なければよかった。すぐスカリーの話をリリアたちに報告して、指示を仰げばよかった。
 危険を感じたから来るつもりはなかった、と正直に言えばいいものを、スカリーがさらに落ち込むかもしれないと思うと、嘘に嘘を重ねてしまう。
「ほら……だから、聞いてやるのだから話すがいい」
 近くの椅子を絵の前に置き、どっかりと腰を下ろしてスカリーを睨み上げる。
 スカリーは目をぱちくりとさせ、小さく笑った。
「ではお話しましょう。我輩とハロウィーンの物語を」

 彼の話は荒唐無稽なものだった。
「そんなでたらめな生き物がいるのか? 喋る骨に幽霊の犬、料理とも呼べない料理に気味の悪い町だと……?」
 趣味の悪い幼子向けの童話にさえも出てこないような、到底信じがたい話がポンポンとスカリーの口から飛び出してきた。
「それは、ハロウィーンを楽しみにしている子ども向けに作った話ではないのか?」
「まさか! セベクさんに嘘をつく理由などございません!」
「あ、ああ……いやでも、しかし」
 疑いの目を向けると、それだけで崩れ落ちそうなほどショックを受けた顔をするものだから、セベクの語尾は自然と弱くなる。
 確かにスカリーが嘘をつく理由はない。が、子どもを楽しませようと話を作り語り続けた結果、現実と空想の境目がわからなくなってしまった可能性もある。長い時間を生きてきた人の話は、えてして信憑性がない。
「そんな生き物、どんな本でも見たことがないぞ」
「我輩の出身地では当たり前のように信じられてきましたが、外の世界であの方を知る者はおりませんでした。ですから、我輩はこの話をハロウィーンとともに広めませんでした。信じる、信じないで揉めるのは本意ではございませんので。大切なのは賑やかで、派手で、豪勢なハロウィーンを世界に広めること。成り立ちではございません」
 でも。
 とスカリーは目を細めて薄い笑みを浮かべた。
「貴方ならきっと与太話だと言うに違いないと、思っておりました」
「僕だけじゃないと思うが」
「ええ、ええ。この学園の皆さんは疑うでしょう」
「スカリーの頃からこの学園生の特性は変わらない、ということか」
「ふふ、そういうことにしておきましょう」
 スカリーの何かを隠しているような、含みのある言葉が気になるが、そこを突いてろくな目に遭ったことがない。一旦は触れないことにした。
 ふと談話室の時計に目をやると、いつの間にか昼を過ぎていた。随分と話し込んでいたらしい。
「また長居してしまったな」
「もうお帰りですか?」
「ああ。まる一日、若様の傍を私用で離れるわけにはいかない」
「それは残念です……」
 スカリーは心底落ち込んでいるというふうに、目を伏せて俯いた。
 セベクの胸がちくりと痛む。
 何も悪いことはしていないのに。
「が、学生は忙しいんだ!」
「わかっております。ただ、この前セベクさんが来てくださって、久しぶりに人と話せてとても嬉しくて。セベクさんが帰られたあと、今まで平気だったのに寂しくて仕方なくなってしまったのです」
「僕にそんなこと言われても……監督生がいるだろう!」
「監督生さんはグリムさんのお世話で忙しいようで、なかなか談話室にいらしてくださらないのです。それに、薄暗い廊下に飾られるところを我が儘言って談話室に置いていただいたのです。これ以上話し相手になってほしいなどと……」
「僕にだったら我が儘言っていいと思ってるのか?」
 監督生で満たせないものが自分で満たせるわけがない。セベクは荒々しく腕を組み、スカリーを睨んだ。
「我輩はセベクさんにお会いしたいのです。度量の大きなセベクさんなら、きっとまた来てくださるだろうと、つい我が儘を」
「僕の度量が大きいことは確かだ。人を見る目はあるようだな」
 セベクは得意げに笑った。
「ここで断ったら僕の度量が疑われる。また来てやろう」
 それに、会いたいと乞われて悪い気はしなかった。
 ニィ、と笑った赤い瞳がセベクを見る。
 吸い込まれるような感覚も、悪くないと思えた。
 
 
 
 スカリーとの時間は、案外心地が良かった。
 全国を回っていただけあって、各地の文化に詳しく、興味深い話ばかりだった。
 書物でしか知らないこともたくさん話してくれる。
 歴史書で何度も読んだ茨の谷の昔の姿も、スカリーの口から聞くと新鮮であった。
 スカリーの肖像画の前に椅子を置き、昔の話を聞いたり、逆に現代の話をしたりと、長時間話し込むことは多々あった。
 毎回必ず話すというわけでもなく、本をオンボロ寮に持ち込んで読書に耽ることもある。スカリーは黙ってその様子を眺めていた。
 夢を見る頻度は徐々に低くなり、体調も回復しきった。
 会いたいと乞われる夢を見なくなったのなら、もうスカリーに会いに行く理由もないのだが、自然とオンボロ寮に足を運んでいた。以前のような忌避感はなく、セベクは警戒心を解いて受け入れた。
 足繁くオンボロ寮に通うセベクを周りは不思議に思ったが、学業に支障はなく、マレウスの傍で大声を出す毎日は変わらないため、特別口を出す者はいなかった。
 今日もセベクはスカリーの傍で椅子に座り、分厚い参考書を読んでいた。
 
 ――の葉から抽出されるエキスは、皮膚を潤す効果があり、主に唇に塗るリップクリームに使われることが――
 
 参考書の文章が引っかかり、スカリーを見上げる。
 スカリーはいつも通り、頬杖をついてセベクを見ていた――一度、見ているだけで退屈ではないのかと聞いたが、そんなことはまったくないと力を込めた返事が返ってきた――。
 スカリーの唇は乾燥し、いつ血が滲んでもおかしくない。歯は数本抜け落ち、お世辞にも見てくれがいいとは言えない。
 栄養状態が悪かったのか、歯磨きの重要性がまだ知られていなかったのか。
「お前はどうして唇は割れて、歯が抜けているんだ。絵を描いてもらうときに修正してもらわなかったのか。肖像画というものは大抵美しく見えるように、多少なりとも手を加えるはずだが」
「ああ、これは敢えてそのまま描いていただいたのです」
「そうか」
「不摂生が祟ってこのような姿になってしまいましたが、口元が印象に残ると様々なところで言われてきました。ですから……見てくれを良くしようと変えてしまえば、見つけてもらえないと思ったのです」
「見つけて……?」
 各地で会った人たちに肖像画を見てもらいたかったのだろうか。表舞台に出たがらないとはいえ、世話になった人の記憶には残っていたいに違いない。だからコンプレックスにもなりえる容姿を、そのまま残したのだろう。
「もっとも、我輩が見つけてほしかった一番の人は、我輩のことを覚えておりませんでしたが」
 スカリーは憂鬱げにため息をついた。
 一体誰のことを思っているのだろうか。
 長い間、大切な人に忘れられて孤独を背負い込んで過ごしてきたのだと思うと、同情してしまう。
「ああ、素敵な方、そのような痛ましい顔はしないでください。もうよいのですから」
 そう言って笑うスカリーの表情は、痛々しかった。
 セベクには想像もつかない辛い経験をしてきたのだろう。
 無理矢理作った笑顔が寂しげで、思わず立ち上がって手を伸ばした。
 ただの顔料と油でしかないとわかっていても、乾燥した布の手触りを感じるしかないとわかっていても、数百年の孤独を軽減することはできないかと、スカリーに触れた。
 瞬間、視界がぐにゃりと曲がり、闇に呑まれた。
 最後に見たものは目をまん丸にして驚いているスカリーの顔だった。

 ねえもし、貴方。
 この腕の中で眠る素敵な人。
 ねえ貴方。どうかその瞼を
 開けてくださるといいのですが……。

 目を開けると、薄暗い見知らぬ空が広がっていた。
 状況を把握するため、目だけ動かして周囲を観察しようとする。
 と、頭上から声が聞こえた。
「ああ、目を覚ましたんですね。よかった」
 スカリーの声だ。
「一体何が……」
 言いかけて、スカリーに抱きかかえられていることに気づいた。
「おい、なんだここは!」
 羞恥と驚愕で大きな声を出す。
 すぐにスカリーの腕の中から飛び出て、立ち上がる。
 ついで、身構えながら周囲の様子を探る。
 目を覚ました場所は、鬱蒼とした森のようだった。地形や空の様子からおおよその場所を割り出そうとしたが、セベクの知識では見当もつかなかった。
 だが、知らないはずなのに、記憶のどこかに引っかかる感触があった。スカリーの肖像画を初めて見たときと同じような。
「知ってる、のか……? なんだ? 写真か何かで見たことでもある……?」
 頭の奥がツキンと痛んだ。
「ここは、我輩の絵の中です」
 いつの間にか隣に立っていたスカリーがぽつりと言った。
「絵……?」
 スカリーの言葉が信じられなくて、スカリーのほうに向き直る。
 と、スカリーはどこからか出したのか、丸いサングラスをかけていた。
「絵とはなんだ、それにお前のそのサングラスは、いや関係ない話だ……」
 スカリーと目を合わせて話そうと見上げ、想像していた姿より随分と身長が高いことに言葉を呑んだ。
「アンバランスじゃないか?」
 ひょろりと縦に長いわりに痩せぎすで、枝のようだった。どこの筋肉でその長身を支えているのか、まじまじと観察してしまう。
「そんなに見られると恥ずかしいです」
「わ、悪い」
 スカリーは顔を手で覆って俯くが、目がサングラスで見えないため、感情を読みづらい。
「ところで、ここは絵の中と言っていたが、どういうことだ?」
「そのままの意味でございます。我輩の絵の中です……といっても、普段はあの絵から動くことはできません。ただ、退屈のあまり、空想に耽ることがあり、それがこの景色だったのです。また訪れたいと強く願っていた場所で、まさかそれが叶うとは」
「もしや、貴様の謀で僕は絵の中に入ってしまったのか?」
 スカリーが自身の絵だと断言するということは、ここはスカリーの領域であるということ。
 セベクは腰を落としてマジカルペンを構えようとし――マジカルペンが制服の胸ポケットにないことに気づいた。
 慌てて体を確認すると、そもそも制服を着ていなかった。
 モノクロでツギハギの、見たこともない洋服を身にまとっていた。
「なんだ、この格好は! 人間! 貴様の仕業か? 僕を学園に戻せ!」
 スカリーの胸ぐらを掴み、ぐらぐらと前後に揺さぶる。
「護衛たる者、マレウス様のお傍を離れるわけにはいかない!」
 貧弱なスカリーの体は瞬く間に地面に叩きつけられた。
 虫が潰れるようなうめき声が聞こえる。
「何が目的だ、言え」
 うつ伏せにしたスカリーの両腕を背中に回して拘束する。今にも折れそうな手首は、片手で簡単に封じることができた。
 空いている片手で、異様な服のあちこちを確認する。ツギだらけでぼろきれかと思われた服は案外丈夫な布でできており、ほつれのひとつもなかった。手触りはよく、質が高いこともわかる。サイズはオーダーメイドのようにぴったりで、気味が悪いくらいだ。余計に今置かれている状況がわからず、警戒を強める。
 マジカルペンはズボンのポケットに入っていた。
 少し安堵しながら、警戒心を解かずにマジカルペンをスカリーのうなじに突きつけた。
「せ、セベクさん……痛いです」
「言ってみろ」
「我輩にも、わからない、んです、ちょっと離して……」
 スカリーの苦悶の表情に、手の力を弱め、代わりに痛みのない拘束呪文をかけた。
「酷いです……」
「酷いのは貴様のほうだ! いいから説明しろ」
「だから、我輩にもわかりません。セベクさんが我輩のほうに手を伸ばしたことまでは覚えています。気づけば、我輩がずっと思い描いていたここにおり、セベクさんが近くで倒れていらっしゃったのです」
「ぐ……」
 スカリーの必死の訴えを信じるほかなかった。
 セベクに相手の嘘を見抜く力はなく、自力で脱出する方法も思いつかない。スカリーがわからないと言う以上、二人で探すしかない。
「いいか、怪しいことをしてみろ。僕の知っている中で一番痛い魔法をかけてやる」
 マジカルペンをポケットにしまい、拘束を解いた。
「ええ、ええ。こうなることはわかっておりました。セベクさんがそういう方でいらっしゃることは、わかっておりました」
 しおしおと嘆くスカリーを無視して、セベクは周りを改めて見回した。
 木々はどこまでも続き、果てしないように見えた。どこかの森に迷い込んだのだろうか。いや、スカリーの絵の中だと言っていたから、実在の地域を再現したどこでもない場所の可能性が高い。
 幸いスマホはポケットに入っていたが、圏外で誰かと連絡が取れる状態ではなかった。
 救援を求めることもできず、大した魔力もない二人が森の中にいるだけだった。
 幸いサバイバルの経験はあるものの、生き物の気配がない環境でどれだけ持ちこたえられるだろうか。せめて水場だけでも見つかれば……。
「おい、お前の絵の中なら脱出方法はないのか。思い描いていたというのなら、ここがどんな場所か詳しいだろう」
「……ええ、そうですね。一度しか訪れたことのない場所ではございますが」
 スカリーは慎重に言葉を選んでいるようにゆっくりと言った。
「絵の中から出られそうにありませんが、この森を抜ける方法なら、きっと……」
「何? 森を抜けられるのか。その先には何がある」
「おそらく、町が」
「町があるのは不幸中の幸いだ。水も食べ物もなしに過ごすのは厳しいからな。人がいたら脱出の手がかりを見つけられるかもしれない――もっとも絵画の中の人間を信用できるかは別の話だが。まあ、いい。案内しろ」
 ここにいても何ができるわけでもない。どれだけ小さくとも希望の光を逃してはならなかった。
「では、散策する前に改めてご挨拶を」
 スカリーは背筋を伸ばして微笑んだ。
「セベクさんと同じ空間にいられて、セベクさんに触れることができて感激しております。改めてこの良き出会いにキスを」
 オンボロ寮のときと同じようにうやうやしく礼をした――かと思うと、セベクの手を取って指に口づけた。
 手袋越しに温かな吐息を感じ、驚いて咄嗟に手を引っ込めた。
「なんだ貴様は! 許可もしていないのに手に接吻をするな!」
 マレウスの護衛として、上流階級の作法は学んでいる。本来ハンドキスは許可があって初めてできるもので、また昨今では唇を実際につけないのがマナーとされている。
 つまりスカリーは、セベクの知るすべてのマナーを破っていた。
 手に直接口づけられたわけではないが、手袋をごしごしとハンカチで拭う。
 驚きと羞恥で顔が熱い。
 なんだか前にもこのようなことがあった気がする。
 赤くなっているであろう頬を隠そうと、ハットを深く被り直した。
「では、行きましょう。ああ、そうだ。エスコートさせていただいても?」
 セベクの怒号を意に介さず、スカリーはセベクに手を差し伸べた。
 セベクは何を言われたのか理解できず、スカリーの手と顔を交互に見た。
「え、エスコート……?」
 単語は知っている。茨の谷の式典やダンスパーティなどで、女性の手を付き添いの男性が取って歩いているところを見たことがある。その単語をエスコートと呼んでいたはずだ。
 だが、この状況にそぐう単語だとは思えない。
「お前が、僕を、エスコートする、と?」
 聞き間違いだろうと一言一言強調して確認をする。
「ええ。我輩が、セベクさんを。手を取り合って森を散策するのは素敵ではございませんか」
 何もおかしなことなど口にしていない、とスカリーは平然として言う。
「思わん。仲良しこよしでもする気か?」
「仲良くしてくださるのですか?」
「そんな話はしていないだろう!」
 セベクはいつか誰かをエスコートすることになると考えたことはあったが、エスコートされる側になろうとは想像すらしたことがなかった。
「いいか。僕は、マレウス様の護衛に任命された者だ――まだ見習いだが――エスコートされるなど、ありえん! 同伴者など不要! 先ほどから僕をなんだと思っているんだ!」
 無礼千万である、と言葉を荒らげる。
「そうですか……それは失礼いたしました」
 悪気はなかったのだろう。スカリーは手を下ろし、肩を落とした。
 言い過ぎたかもしれないと思ったが、マレウスの護衛への侮辱を見過ごすことは、巡り巡ってマレウスへの侮辱に繋がる。正すべきは正さねばならない。
「いいから、早く案内しろ」
 セベクは心持ち声音を柔らかくして、スカリーを急かした。

 辿り着いた先は、月に照らされた渦巻く丘がよく見える、墓場だった――そこに至るまで、木の洞に飛び込むか飛び込まないかで揉めたが――。
「ここも貴様の思い描いた場所とやらか?」
「ええ。先ほどの森と同じくらい思い出深い場所でございます」
 スカリーはうっとりとした表情で丘を見上げていた。
 やはりここでも不思議な既視感を覚えたが、セベクにそれ以上のことは起こらなかった。頭の奥に小さく痛みが走る。
「思い出せそうで思い出せない、気持ちが悪いな。墓場の不気味さも相まって不愉快だ」
 墓場にはジャック・オ・ランタンがいくつも転がり、ハロウィンのイベント会場に見える。
「ここはもしかして、貴様がハロウィンを広めたという地方のひとつか?」
 丘を眺めていたスカリーは、ゆっくりとセベクに顔を向けた。
「いいえ。ここはハロウィンのはじまりの場所です。すべてはここから始まったのです」
 きゅっと口角を上げたその顔からは、今までに見たことのない狂気を感じた。
 背筋に冷たいものが流れる。
 ぞわりと逆立つ鳥肌をなだめ、セベクは平常心を装って息を吐いた。
「それで、町はどこに?」
「あの道の先にハロウィン・タウンはございます」
 スカリーの指し示す道の先は街頭が少なく、闇が広がっていた。
 本来ならば万全の状態で進みたい場所だが、進むしかなかった。
 頼れるのは己の体と知恵と、マジカルペンのみ。スカリーとて信用しきることはできない。
 差し出された手を無視し、マジカルペンを握りしめて暗い道を歩き出した。
 道中、スカリーはぺらぺらと話し続けている。
「我輩とジャック様の出会いはあの丘で――
「ジャック様は、我が故郷の村で伝え聞いていたお姿より威厳があり――
「パンプキンキングの名にふさわしい風格――
 セベクはそのほとんどを聞き流していた。
 とりわけスカリーが崇拝しているらしいジャックとやらの話は、やたらと長く修飾語に溢れた賛辞ばかりで聞くに堪えなかった。
 代わりにマレウスの姿を思い浮かべ、持ちうる語彙のすべてを使い、ひたすら脳内で素晴らしさを湛えることで正気を保っていた。
「あの慈悲深さといったら――あ、セベクさん、町に到着しました」
 ようやくお喋りが止まったところで、スカリーの足も止まった。
 周囲に建物が並び、開けた場所は広場だろうか。中心に不気味な像が建っている。
 オンボロ寮の手入れが届いていない部分よりも、陰気で殺伐とした雰囲気が漂っていた。
「ここが町か……?」
「はい! ああ、またここを訪れる日が来るとは……我輩の記憶に過ぎないとわかっていても、胸が躍ります。ああ、懐かしのハロウィン・タウン……ここに舞い戻る日をどれだけ心待ちにしていたことか!」
 芝居がかった動作でスカリーは胸に手を置き、暗鬱とした空を仰いだ。
 セベクは、じわじわと強くなる頭痛に顔をしかめながら、はしゃいでいるスカリーを視界に入れないようにした。
 ぐるりと見回して、やけに殺風景であることに気づく。
「先ほどの墓場より薄暗いのではないか? 随分と名前負けしている町のようだ」
「そうですね……ハロウィンらしく静寂と恐怖に満ちた場所でしたが、もう少し賑わいはありました。我輩の力では、ここに住まう方々を作り出すことができなかったようです」
「以前話してくれた科学者や町長はここの住人なのか?」
「我輩の話を覚えてくださったのですね。ええ、ここにジャック様やサリー様と生活をされていました。懐かしい……」
 スカリーは深く息を吐き、広場の中央にある得体の知れないオブジェをそっと撫でた。
「どこもかしこも大切な思い出で溢れておりますが、少しずつ見て回りましょう」
「貴様の思い出巡りより、帰り道を探す必要がある。今は一体何時になっていることやら。遅くなりすぎると、マレウス様やリリア様に多大なご迷惑をおかけしてしまう」
 セベクがオンボロ寮で過ごす時間は少しずつ長くなっていた。だからいつもより帰りが遅くなったからといって、すぐに心配されることはないだろうが。万が一の緊急事態に対応できないという時点で、護衛失敗もいいところだ。
「我輩にはもう思い出しか残されていないのです」
「それでも僕は帰らなくてはいけない」
「どうか、貴方のお時間をもう少しいただけませんか。帰り道も必ず探しましょう。ただ、ほんの少しの遠回りを許していただきたいのです」
 スカリーの声音は切実さを帯びていた。
 真っ黒なサングラスに隠れ、目は見えなかったが、赤い瞳がセベクを真っ直ぐに見下ろしているように思えた。
 真っ正面から丁重に願い事をされると、断りづらい。
 帰りたい、帰らなくては。
 そう思っていても、三度口にすることができなかった。
 絵の中に入り込んでから、こちらの事情など一切お構いなしのスカリーには腹が立ちっぱなしである。一人で勝手に浮ついている様に、ずっと苛つきが収まらない。
 反面、スカリーの声は耳に優しく、柔らかく声音で名前を呼ばれるのが心地よいと感じていた。
 そして、随分と長く見ていないような気がする赤い瞳を、また見たいと思っていることに気づいた。無意識に、目を凝らしてサングラスの奥を覗きこもうとしていた。
 気恥ずかしくなり、スカリーのクラバットのあたりに視線を移した。
「……寄り道は少しだけだからな」
 どうせ、スカリーが寄り道しようと帰り道の探索を真っ直ぐに進めようと、セベクには判断つかないのだから。

 ジャックの家やら研究所やら、町の様々な場所をスカリーに案内される。
 料理や音楽など、ここで準備をしたのだとハロウィンの思い出をスカリーが語る。
「我輩たちは常に言い争いをしてばかりでした。ジャック様の前で、お恥ずかしいことに。それぞれ自分の考えが一番であると主張してばかりで。我輩の考えはその中でも特に異質なものだったようで、すべてを否定されてしまいました」
 スカリーの声は寂しそうだったが、それでいて楽しかった記憶でもあると言う風に、微笑んでいた。
「先ほどから言っている〝我輩たち〟というのは、貴様とこの町の人間たちのことか?」
「はい。大まかには、そうですね。もっと多くいましたが」
 奥歯に物が挟まったような口ぶりだった。
「話したいのか話したくないのか、はっきりしろ。隠すか隠さないか、どっちなんだ」
 いい加減に腹が立って、つい口調が荒くなる。
「聞き返していいのかどうか、わからないだろうが」
「ふふ、セベクさんはお優しい。我輩も話してしまいたいのです。でもきっと、よいことにはならない。だから口を滑らせては、ごまかしているのです。申し訳ございません。いつかお話しできる日がくればよいのですが」
 やはり何かを隠しているようだった。だが、はっきりと言えないと言われれば、それまでだ。
「なら、それでいい。ただし、重大なことは隠すな」
「……はい」
 スカリーはセベクを見て静かに微笑んだ。
 なぜだか肩にかかっているコートの襟がくすぐったく感じて、もぞもぞと位置をずらした。
「次にご案内するのはこちらのホールでございます。こちらでは寝泊まりをしたり、旗を作ったりしておりました」
 大きな建物の扉を開き、スカリーは中に招き入れた。
 古びて不気味な雰囲気が漂っているのはほかと変わらないが、中規模程度の演劇にも使えそうな、立派な造りをしていた。
「ここで寝るだと?」
「ええ、椅子の上など。棺の中とも迷いましたが」
「屋根があるだけマシだが。泊まれる部屋はなかったのか?」
「いつかお話しましたように、我輩はここの人間ではなく、迷い込んだので。この町には民宿といった宿泊施設もなく、どなたかのベッドの下をお借りしたり、墓場の穴をお借りする等ご提案いただきましたが、ホールがよいと言う方々が多く、ここに決まりました」
「確かに、その選択肢ならここしかあるまい」
 木の板が張られた座面は寝るに適しているとは言えないが、雨風がしのげるのであればいいほうだろう。
「……おや、こんな箱あったでしょうか……」
 セベクが当時ここで眠っていた者たちのことを考えている間、ホール内を歩き回っていたスカリーがふと声を上げた。
 なんだと見に行くと、スカリーの視線の先には大きな木箱があった。
「不思議ですね。ここは我輩の思いが作り上げた空間なので、知らない物は出てこないと思っていたのですが」
 スカリーは首を傾げていた。
 この空間の主が把握していないのであれば、もしやこの絵から脱出する手がかりがあるかもしれない。本来であれば無防備に触れたくないが、今までなんの手がかりも見つかっていなかった。多少のリスクを覚悟してでも行動しなければ、にっちもさっちもいかないだろう。
 セベクは防衛魔法を自身とスカリーに何重にもかけた。
 そして、マジカルペンを構えて慎重に木箱を開けた。
 埃が舞い上がり、カビの臭いが鼻をついた。
 二、三度咳き込んでマジカルペンを下ろさないまま中を覗きこんだ。
 色とりどりの布が入っているようだった。
 怪しい魔法の気配はないが、布自体に毒のようなものが塗られている可能性がある。
 魔法でそっと持ち上げようとする前に、スカリーが大きな声を出して箱の中に手を突っ込んだ。
「これは!」
「馬鹿か! その手袋は保護手袋じゃないだろう!」
 慌ててスカリーの腕を掴んで引っ張る。
「セベクさん、あのときに作った旗です! 町に飾ってないと思ったら、こんなところにしまわれていたとは!」
 ニコニコと笑うスカリーは布をしっかりと握っていた。
「不用心に怪しい物を触るなど、貴様は一体何年魔法士をやって……」
 ズキズキと痛むこめかみに手を当て、スカリーに小言を言いながら布に目をやる。
 何やら見覚えのある配色で、模様で……それがなんのデザインか気づいた。
「どうして学園の校章が……いや、スカリーがいたのなら不思議ではない、問題は寮章だ……どうして、貴様がいた頃にはなかったはずの寮が、オンボロ寮には過去にも人間と魔獣が所属していたことが? ……ああっ」
 頭痛がいっそう酷くなり、思わずマジカルペンと布を取り落とし、膝を床についた。
 頭が割れるように痛い。
 映像を脳にねじ込まれているように知らない光景が映る。
 マレウスや他寮の人間と森で目が覚めた。
 不思議な形の丘を背景に骨が喋っていた。
 うるさい子どもが大騒ぎしていた。
 大きな月の下で、カボチャとスカリーがいた。
「これは、なんだ……」
 ぐちゃぐちゃに泣いているスカリーを最後に、映像が消え、頭痛も嘘のように引いた。
 顔を上げると、心配そうにセベクの両肩を掴んだスカリーがいた。
 涙の跡はない。
「僕は……僕たちはここに来たことがあるのか?」
 スカリーに問いかける声は震えていた。
 存在しない記憶のはずなのに、本当にあったことだと本能が訴えかけている。
 どうして忘れていた。
 学園長が持ってきた肖像画を見たときの奇妙な感覚は、そのせいだったのか。
「思い出した、のですね……」
 スカリーは悲しそうに笑った。
「僕は忘れていたのか……」
「どうでしょう。時を超えるなど、とてつもなく危険な魔法に違いありません。見つかっていないから禁忌とされていないだけです。きっと、あのとき触れた本の中だけ作用する魔法だったのでしょう。そして、本から抜け出すと同時に魔法は解け、本と魔法の存在ごと記憶を消された――といったところでしょうか」
 スカリーはすらすらと言いよどむことなく述べた。もしかしたら、ずっと考えていたことなのかもしれない。
「僕は……いや、どうして貴様は僕を覚えていた。あの口ぶり、僕たちとハロウィン・タウンで過ごしたことを覚えていたのだろう。それもここに来る前、オンボロ寮に飾られていた頃から」
「我輩は、自分のいるべきところへ戻ったあと、何も覚えていないのにハロウィンを広めなくてはならないと使命感にかられたのです。それも、賑やかで、派手で、豪勢なハロウィンを。そして絶えず進化し続けるハロウィンを。長年かけて世界を回りました。その中で、どうしても胸の中に埋められない穴があることを感じていました。大切な存在を、経験を忘れてしまっているのだとずっと探していました。ハロウィンを広めていけば答えに辿り着くとも思っていました。結局、すべてを思い出したのは儚くなってからですが」
 気づけば、スカリーはセベクの手を取り、甲や指先を確かめるように撫でていた。
 セベクはスカリーの手を振りほどけなかった。
「世界を回っているとき、我輩はひとりぼっちでした。それでいて、誰かが側にいるような心強さがありました。それはジャック様が我輩の心にいらっしゃるからだと思っていました。でも、ジャック様だけではありませんでした。皆様方との思い出が、未来が我輩の背中を圧してくださっていたのです。それに気づいたのが世界を去ってからというのは、きっと未来が変わることを防ぐためだったのでしょう」
「それで……貴様は死んでから絵となりこの世に留まり、ずっとハロウィン・タウンやジャックに思いを馳せていたと」
「ええ。そしてセベクさん、貴方のことも思っておりました」
 まるでこわれものを扱うように、スカリーはセベクの頬を柔らかくゆっくり触れた。
 サングラスの奥の瞳が揺らいで見えた。
「我輩に信じることを教えてくださったあの日、貴方の雷をこの身に受けたあのとき、視界が開けたのです。我輩に進むべき道を示してくださった貴方を二度と忘れたくありませんでした。いつかまたお会いできると信じ、毎日過ごしておりました」
 スカリーはもう一度セベクの手を取った。手の甲を慈しむように何度も撫でる。
「セベクさん、ねえ、我輩の素敵な貴方。もう一度貴方に会えたのです。どうかご挨拶をする許可をいただけませんか?」
 スカリーに乞われるのは嫌ではなかった。嫌でないと思うことが当然のように感じられた。
 セベクはゆっくりと頷いた。
 スカリーの色のない唇が、スカリーと揃いのデザインの手袋に近付いていくのを息を止めて見ていた。
 一瞬、手の甲に湿った空気が当たるのを感じた。
 スカリーの顔が手から離れていき、乾燥した唇が弧を描いた。
 歯抜けの笑顔はなんとも間抜けであるはずなのに、愛嬌を感じてしまった。
 嬉しそうにはにかむスカリーに、気の利いた言葉も思いつかない。
 セベクは胸の奥がざわめく感覚に動揺していた。
 敵の殺気を感じたときにも、リリアがキッチンに向かった気配を察知したときにも、感じたことがない。
 耳に心臓がぴったりくっついてしまったかのように、自分の鼓動が大きく聞こえる。
 自分が自分でないように思えて、床に座ったまま勢いよくスカリーと距離を取った。
「き、気は済んだか! 今だけだからな!」
「ええ。ありがとうございます」
 少し俯き、赤く染まった頬に手を当てる様は姉が読んでいた少女漫画のヒロインのようだった。
 自分よりも背の高い男に対して、何を。
 セベクは首を振り、今思ったことを無理矢理追い払った。
 妙な気持ちを完全に消そうと、口を開く。
「そ、そうだ。僕たちはハロウィン・タウンからどうやって戻ったんだ。記憶にところどころ穴があって、思い出せない」
「どうやって戻ったか、ですか」
「ああ。同じ方法でここから出られるかもしれないだろう。貴様は覚えていないのか」
 尋ねてみると、スカリーは首を傾げて唸った。
「我輩にもわかりません。時間を移動する前後の記憶が曖昧なようです」
「そうか……ではやはり町を隅々まで調べなくてはならないな」
「どうしても?」
 セベクがすっくと立ち上がると、スカリーは動かずセベクを上目に見つめた――といってもサングラスで視線などわからないが。
「どうしてもだ。僕は帰らねばならないと、何度言えばわかる。もう充分に遠回りしただろう。まだ行っていない場所に行けば、僕の記憶も完璧に戻るかもしれない」
 スカリーにまたお願いでもされたら、ずっとここに留まってしまいそうだ。
 返事を聞かず、セベクはホールの出口へと向かった。
 さっきから自分の意思とはちぐはぐな言動ばかりしている気がする。
 一体どうしてスカリーの〝挨拶〟を許してしまったのか。
 そもそもスカリーは過去にも許可なく何度も挨拶をしてきた。どうして突然許可を取ってきたのか。そのせいで調子が狂って、頷いてしまったに違いない。
 後ろからスカリーの呼び止める声が聞こえ、ばたばたと駆け寄ってくる足音がした。
 ぎゅっと二の腕のあたりにスカリーの骨張った指が食い込んだ。
「待って、ください。おいていかないで」
 暗い森に置き去りにされた幼子のような声。
 たかが数メートルの距離だというのに。
「なんなんだ、貴様は。ついてくるなとは言ってないだろう」
 近くに寄られると、ほらまた心臓の音がうるさくなる。
 セベクは苛立ちを隠さずに腕を振った。
 見るからに筋肉のないスカリーはたやすく振りほどかれ、尻餅をつく。
「わ、悪い。そんなに力を入れたつもりはなかったんだが……急に掴んでくる貴様も悪いだろう」
 乱暴に扱うつもりはなかった。感情にまかせてしまったことに、罪悪感を覚える。
 ぺたんと床に座り込むスカリーに、慌てて手を差し伸べる。
 スカリーは口をへの字に曲げ、今にも泣きそうに眉を下げていた。
「やっぱり我輩はどこにいってもひとりぼっちなんだ。せっかくセベクさんに会えたのに、側にいることもできない」
「……ハロウィンの頃より面倒な性格になってないか?」
「何百年もひとりぼっちでいればこうもなりますよ」
 スカリーは恨めしげに言った。
「そんなことを言われても、僕のせいではないからな。側にいたいなら来ればいいだろう。僕は行きたいところに行く。貴様がついてこようが気にしない」
 共に帰り道を探そうとも言えず、かといってここに置いていくのも気が引けて、結局スカリー自身に選択を委ねるずるい言い方しかできなかった。
「ついていってもいいのですか?」
「……好きにしろ」
「お言葉に甘えて」

 記憶の中のスカリーと、今隣を歩いているスカリーは様子が違っていた。
 二言目にはジャックがどうだとかハロウィンがどうだとかうるさかったはずなのに、その単語はあまり出てこない。
 それどころか、ジャックに向けていた熱視線がセベクに向いているような気さえする。
 ――いや、ジャックは今ここに存在せず、ハロウィンはとうに過ぎたのだから、話題に出ないのも当然だ。そして、長年の孤独を埋めたくて、偶然一緒にいるセベクに話しかけているだけだ。あのスカリーがジャックへの信仰心を失っているわけがない。
「我輩の顔に何か?」
 ずっと見すぎていたらしい。
 スカリーは小首を傾げた。
「いや、その……なんだ。唇は相変わらず荒れているんだな」
 ごまかそうと適当に選んだ話題だったが、あの唇が事あるごとに〝挨拶〟したがっているのを思うと、自身の唇がぞわぞわとする。
「冬が近付くと空気が乾燥して、余計に割れてしまうのです。舐めると悪化するのですが、どうしようもなく」
 唇をそっと指先で撫で、スカリーは顔をしかめた。
「リップクリームを知らないのか?」
「なんですか、それは」
「保湿クリームだ。唇の荒れが治るんだが。さすがに今は持っていないな……」
「そんなものがあるんですねえ」
「さすがに貴様の時代にも似たものはあるはずだ。スティックタイプになっていなくても、古くは薬草から採れる分泌液を直接塗っていたからな。このへんにそういった薬草はあるんじゃないか?」
 聞いたこともない不気味な薬草も生えているが、学園で扱っている薬草もあったはずだ。
 菜園に足を向け、目的の薬草を探す。
「どんな植物なのですか?」
 スカリーは大小様々な植物を見回していた。セベクは腰をかがめ、葉や茎を見て回る。
「葉は分厚くて長細く、茎は固い。そして根が……ああ、あった」
 見つけた薬草の葉をぱきりと折ると、透明でどろっとした液体が溢れてきた。
「これを唇に塗るといい」
 スカリーの手を掴み、手袋の上から細い指に分泌液を垂らす。
「これを……? うええ、なんだか苦いですね」
「おいしいものではないな」
 口の周りをべたつかせたスカリーは、眉間に皺を寄せていた。
「こまめに塗っていたら少しずつ良くなるだろう」
 そう言いながら、今目の前で分泌液をしげしげと眺めている男が絵の中の住人であることを思い出した。
 唇をわざわざ荒れた状態に描かせたスカリーの唇が、きれいになることがあるのだろうか。きれいになるというのであれば、今すぐ父に診せて差し歯を作ってやりたいとさえ思うのだが。
 考え込んでいると、突然唇に冷たい感触があり、何かを塗られた。
 びっくりして顔を上げると、楽しそうに笑うスカリーが分泌液の付着した指をセベクに向けていた。
「セベクさんの唇も乾燥しているようだったので」
 少し舌を出すと、植物特有の青臭い苦みが口内に広がった。
 一瞬、背筋がびりりと震えた。
「……やることなすこと、どうして突然なんだ!全部許可を取れ! 許可を!」
 顔真っ赤にして叫ぶと、スカリーは口を大きく開けて快活に笑った。
 セベクが顔をしかめたのは、唇の苦さだけが理由ではなかった。

 スカリーが決して行きたがらないところがあった。
 セベクが足を向けるたびに、なんやかんやと理由をつけて気を逸らし、無視して行こうとすれば腕に絡みついて行かせまいとした。
 ホールでのこともあり、セベクが力任せに振りほどけないのをいいことに、スカリーは体を張って止めた。
 それが三度ほど続き、セベクの堪忍袋の緒が切れた。
「さっきからなんなんだ、貴様は! 僕に見せたくないものでもあるのか? 恥ずかしい思い出でもあっちの方角にあるのか? ただの墓場ではないか! 何を隠している!」
 額に青筋を立て、セベクは怒鳴り散らした。
「ちが、違います、ただ我輩は……その。ええと、お墓が怖くて」
「そんなわけあるか! 僕らの足止めにゴーストまで使ったくせによく言う」
 下手なごまかしに苛立ち、セベクは足を一回大きく踏み鳴らした。
「墓場なぞ、丘から町へ来るときに近くを通っただろうが。何がそんなに貴様の足を鈍らせる」
「だって……セベクさん、絶対怒る」
「既に怒っているが、僕は決して感情的に怒鳴ったりはしない。いいから言ってみろ」
「もう怒ってるじゃないですかあ。うう……」
 スカリーは両手を揉んだり指先を弄んだりと、もじもじ落ち着かない。
「その、セベクさんが、ええと……あ、いろいろ喧嘩したこと思い出しちゃうかなあって」
「とうの昔に思い出してるぞ! 貴様はぴーぴー情けなく泣いていたな」
「ひどい!」
「貴様の泣き顔など思い出したところでどうともならん。わかったら行くぞ」
 真っ白な顔を赤くして、壊れた蛇口のように大粒の涙をずっと流していた記憶が蘇る。幾重にも被せられた紳士の面が剥がれ落ちる様には、驚愕と同時に興味深さを覚えた。人間、こうも真逆の性質を見事に装うことができるものなのかと。
 今、セベクの言葉ひとつでおろおろしているスカリーは、あの泣いていた姿に少し似ている。世界にひとつの文化を広めた偉大なる人間が、自分の指先の動きにすら心を揺らがしているのを見るのは、気分がよかった。
 
 墓場へと向かう足は軽い。
 渋るスカリーを引きずってもなお、スキップできそうなほどに。静かに闊歩するのみだが。
「ハロウィン・タウンはどこも暗くて陰気だが、ことさら墓場はその気が強いな」
「これこそがハロウィンというもの。素晴らしい」
「賑やかで、派手で、豪勢なハロウィンはどうした」
「進化し続けるハロウィンを愛すのは当然ですが、我輩にも好みはございますから。ひっそりと静寂と恐怖を楽しむのもまた一興でしょう」
「ふん」
 ハロウィンの準備ひとつでぎゃあぎゃあ喚いていた頃に比べ、少し大人びた考え方をするようになっているらしい。セベクにとっては少し前の出来事だが、スカリーにとっては何百年も前の子どもの頃の話だ。あの頃と同じ精神年齢では困るというもの。
 若干の寂しさを覚えながら、セベクは歩き続ける。
 細い道を辿ると、地下の墓場へ通じる扉があった。
 木製の古びた扉の丸い取っ手に手を伸ばす。
 すると、空間が歪むような感覚とともに、映像が頭に流れ込んできた。
 今回はとても短かった。
 ジャックにこの扉を示され、皆口々に別れを告げて中に入っていった。
 墓場に入る顔ぶれの中には、スカリーもいた。
 頭がくらくらする。
 目を閉じて目頭を押さえ、目眩が落ち着くのを待つ。
 しばらく時間をおいて、ゆっくり瞼を開けるとこちらをちらちらと見るスカリーが目に入った。唇を噛みしめている。
「……何が目的だ」
 セベクは精一杯静かな声で問いただした。
「ここから帰れることを知っていたから、僕の行く手を阻んだのだろう。僕をここに閉じ込めて、何がしたい」
 静かに、落ち着いて。
 しかし、握りしめた拳は震え、体中を駆け巡る血液が沸騰しているかのように全身が熱くなっていた。
 裏切られた気持ちだ。
 スカリーのことを知った気分になって、心を許して、そしてこれだ。
 どうしてスカリーが泣きそうな顔をするのか。
 泣きたいのはこちらのほうだというのに。
「目的のために貴方を閉じ込めたかったのではありません」
 スカリーは俯いて、感情のない声で呟いた。
「貴方にここにいてほしかっただけです」
「だから、なんのために」
「もう、ひとりは嫌だ……ハロウィンを通じて会えるって言ったって、我輩は、我輩はそれでもひとりだ!」
 叫ぶやいなや、周りに転がっている石塊や枝がジャック・オ・ランタンに姿を変え、セベクに飛んできた。慌ててマジカルペンを構え、防衛魔法を展開する。
「な、なんだいきなり! また貴様のユニーク魔法か!」
「セベクさんは、また帰る場所がある! 我輩にはもう何もないのに! 我輩を置いて皆さんの元に帰るんだ! ばか! 貴方はあのときのままなのに、我輩は、我輩だけずっと時が流れてしまった……」
 魔法が止み、サングラスの隙間から涙が落ちるのが見えた。
「スカリー」
 肩を揺らし、小さく嗚咽を漏らすスカリーに手を伸ばし。
 スカリーに強大な魔力が集まっているのを感じ、慌てて飛び退った。
 あのときと同じように、セベクに魔法をかけようとしているに違いない。
 やむを得まいと、セベクは深呼吸して口を開いた。
「曇天を衝け、雷光よ……『迅雷一閃(リビング・ボルト)』!」
 セベクから放たれた閃光は、目にも留まらぬ速さでスカリーを貫いた。
 魔法の反動でセベクの全身に痺れが回る。
 ふらつきながら、スカリーを見ると、彼は地面に膝をついて雷に震えていた。サングラスはどこかに吹き飛び、スカリーの素顔が露わになった。
 互いに荒い息を吐き、動くこともままならない。
「なぜ、なぜ……僕を、カボチャにしなかった」
 セベクが雷を放った瞬間、スカリーから魔力の気配が消えていた。スカリーはセベクに魔法をかけるどころか、自衛することもなく全身で雷を受け止めたのだ。
「どうして貴方をまたカボチャにできるのでしょう。長年焦がれてきたというのに」
 スカリーの目は潤み、瞳のみならず白目も赤くなっていた。久しぶりに彼の目を見た気がする。
「僕の魔法に、一度かかったことがあるだろう。どうして防がなかった」
「分不相応に貴方を欲しがった罰だと、そう思ったのです。今を生きる貴方を、とうに去った我輩が求めてはならないのです」
「そうか……僕にはよく理解できないが。でももうひとりではないだろう」
 ハロウィンの間、スカリーの肖像画は学園の目立つところに飾られていた。多くの生徒や外部の客が肖像画を見たはずだ。そのあとオンボロ寮に飾られ、監督生やグリム、ゴーストたちと騒がしい生活を送っているはずだ。
「確かに、生前よりずっと我輩を尊重してくださる方は増えました。ハロウィンを広めた偉人として! 我輩は、友だちがほしかった。皆さんと同じ時を生きて、笑って、喧嘩して、一緒に歳を取りたかった」
 赤子のように顔を真っ赤にして、スカリーは涙をぼろぼろといくつも零した。
「うう……また会いたいと思って、あの頃の姿で肖像画を描くように依頼したのが間違いでした。学園の薄暗い倉庫で何百年もひとりで過ごすのは、頭がどうにかなりそうでした。一目見るだけでいいと、必死に正気を保って、ようやく貴方のお顔を見た瞬間に、気づいてしまったのです。我輩の欲深さに」
 スカリーは涙を袖で拭い、セベクを見上げた。
 瞼は腫れ、唇は噛みしめたせいで血が滲み、ぼろきれのようだった。
「貴方を思い出したときから――いえ、あの日、貴方の雷に打たれた日から、セベクさんをお慕いしております」
 真夜中の墓場は愛の告白にふさわしい場所とは到底言えず、嗚咽混じりの告白は愛というより同情を誘うもので、セベクは堪らなくなった。
「僕は、僕は……いや、違う、スカリー。貴様のそれは思い出が執着に変化しただけだ。ただの思い込みだ」
「そんなわけない! 我輩の気持ちは本物だ!」
 一度止まったと思われた涙は、またスカリーの大きな目から溢れ出る。
「好きになってなんて言わない……我輩の気持ちを知ってほしかっただけなのに。セベクさん、そんなに我輩の気持ち、間違ってるのかな。そんなに変? 時間が違いすぎるのが駄目……?」
 独り言のようにも、セベクに聞いているようにも聞こえる。
「変、とは言わないが……」
 セベクは、種族を超えた愛を知っている。だからスカリーの気持ちを頭ごなしに否定するつもりはなかった。だが、数百年の思いはえてして呪いになるものだ。そこまで歪まなかったとしても、形は変わってしまう。どうしても恋愛のひとつの形として受け入れることを躊躇ってしまう。
「すみません、我輩の気持ちを押しつけてしまいました。忘れてください」
 膝を抱えて丸まり、スカリーは小さくなった。
 セベクよりもずっと背が高いはずなのに、木の枝のような痩せっぽっちな体はどこまでも小さく、消えそうだった。
「いいんです。これからもひとりで生きていくから。あ、死んでた。もう、慣れてますから。うう……もっと人通りの多いところに飾ってくれたら寂しくないのになあ」
 力なく笑うスカリーに、無性に腹が立った。
 スカリーが落ち込んでいる理由が自分にあることに、腹が立って仕方がない。
「僕がいるだろうが! 絵を抜けても、僕がまたオンボロ寮まで、貴様に会いに行けばひとりじゃないだろう!」
 セベクの言葉にスカリーはゆっくり顔を上げ、目を丸くした。
 そして。
「……ふ、ふふ、はは、あはは、そうですね。我輩は待つことしかできませんが、セベクさんが来てくださるのなら、それ以上に嬉しいことはないでしょう」
 涙を拭って笑った。
「あと……もし十年経っても気持ちが変わらなかったら、そのときはもう一度聞いてやっても、いい」
 スカリーの笑顔に思わず、セベクは小さな声で呟いた。
「今、なんと?」
「いや、なんでもない。聞かなかったことに」
「十年は長いです! せめて三年ほど、セベクさんが卒業する頃になりませんか?」
「ばっちり聞いているじゃないか!」
 セベクは頬が熱くなったのを感じた。つい、と目を逸らす。
「ああ、セベクさん。本当に。我輩はこれからも貴方様をお慕いしていてもよいのですか?」
「駄目だとは言ってない。貴様のような立派な人間に好かれているというのは、誉れでもある。貴様は有言実行の男だ。そして忍耐強さも持ち合わせている。少し軟弱なところはあるが……貴様のその強さ、認めてやろう」
 じりじりと視線をスカリーに戻すと、スカリーもまた顔を赤くして笑っていた。
「三年、三年ですよ」
「しつこいぞ」
 座ったままのスカリーに手を差し伸べると、セベクの顔と手を交互に見てから、照れ笑いを浮かべて手を重ねた。
 スカリーを立ち上がらせ、セベクは墓場の扉に目をやった。
 この先に行けば、学園に戻れるはずだ。
 それは、スカリーとの別れを意味していた。
 肖像画のスカリーとは肩を並べて歩き回ることもできず、手に触れることもできない。
 かといって、学園に戻らないという選択肢を選ぶことはできなかった。
 意を決してセベクは扉を開けた。
 地下から風が舞い上がり、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
「じゃあ、スカリー、またオンボロ寮で会おう」
「はい」
 スカリーは少し眉を下げて、そっと微笑んだ。
「最後に別れのご挨拶をしても?」
 またスカリーお得意の〝挨拶〟かとセベクは苦笑いし、手の甲を上に向けて差し出した。
 セベクの手はスカリーの両手に優しく包み込まれた。そして、力強く引かれた。
 不測の事態に目を見開くと、今までにないくらいスカリーの顔が近くにあった。
 唇に、ちくりと小さな痛みが走る。
 乾燥してひび割れたスカリーの唇が触れたのだと、すぐに気づいた。
 二人の間の空気だけが熱く、湿っていた。
 枯れ木と土の匂いと、微かな死の香りに包まれていた。
「それを許すとは言っていないんだが」
「でも許してくれたではありませんか」
「許しては……ううむ」
「これで、お別れです」
 名残惜しそうにスカリーが言った。
 スカリーの吐息が唇にかかってくすぐったい。
「またすぐに会えるだろうが」
「……ええ、また。いつでもお待ちしています」
 もう一度軽くキスをしてから、スカリーはようやく手の甲にそっと唇を落とした。
 セベクは自由になった手を握りしめ、ハットを被り直した。
 スカリーに背を向け、振り返らず扉の向こうへ足を踏み出した。
 直後、視界がぐにゃりと歪み、闇に呑まれた。

 ふと、油絵の具の香りが鼻を突いた。
 目を瞬かせると、目の前にはスカリーの肖像画があった。
 眠っていたのかと、時計を見ると最後の記憶からそう時間は経っていなかった。
 スカリーは小首を傾げ、いつもと変わらない赤い瞳でセベクを見ていた。
「悪い、少しぼうっとしていたみたいだ。それで、なんの話をしていたんだったか」
「立ったまま寝てしまうなんて、お疲れでしょうか? 数分前の話を忘れてしまうなんて、セベクさんらしくもない。椅子に戻って、休まないと」
「いや、疲れてはいないんだが……」
 スカリーに言われ、首を捻りながらセベクは椅子に腰掛けた。
「今日はもう寮に戻ったほうがよいのでは?」
「体調に問題はない。ただ、少し考え事をしていた、ような」
 言いながら、それも違うと心の中で首を横に振った。
 長い夢を見ていた気がする。
 ハロウィーンの残り香のする夢を。
 
「どうか、ご無理のないように。我輩はいつでもここでお待ちしておりますから。三年でも、十年でも、いつまでも」

 

 

Pixiv投稿2025.2.20

スカセベ,短編

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