これはおいしいお寿司
TOP
MAIN
OFFLINE
BLOG
No.19
春の匂い
–始まる
春とは、始まりを意味することもあるのだと監督生が言っていた。
長らく学生生活を送っていると一年の始まりは秋だと思ってしまいがちだが、農業が盛んな地方では確かに春は始まりの象徴であった。
春とは、凍っていた畑にようやく鍬が入れられる時期なのだとエペルが言っていた。
寒く長い夜が明け、明るく開放的な世界が目の前に広がり始めるのは確かに春だった。
だからだろうか。
やけにレオナがきらきらして見えるのは。
歩道脇の雪が水となり、ちろちろと斜面を流れていくのを見ていた。蟻が数匹巻き込まれて、為す術なく溺れている。
メインストリートの端でしゃがんで地面を見ていると、不意に影がかかった。
「何見てんだ」
「蟻の春を」
「弱肉強食だな」
「水は強いっすからね」
見上げると、後光が差して神々しさすら感じるレオナの顔があった。
陽射しはレオナが遮っているというのに、眩しくて仕方ない。
「目でも悪くしたか?」
「なんで?」
「細めてるから」
「先輩の光が強くって」
レオナは訳がわからないという風に笑った。余計光が強くなった。
「それは春だからだよ」
「やっぱりそうか」
合同授業の準備中、レオナが眩しすぎると呟いたら監督生がそう言った。監督生はこの世界の常識はとんと知らないが、人の感情にはやけに鋭かった。監督生がそう言うのならそうなのだろう。
「でも不思議とほかの人は眩しくねえ」
「春だねえ」
「そうか」
監督生が言うには、春だから人が輝くわけではないらしい。よくわからないが、監督生がそう言うのならそうなのだろう。
「春で脳内ボケてんじゃね」
「んなわけねえだろ」
エースが言うことは絶対に間違っている。授業中、指されても一度も間違えないくらいに頭は冴えているのだから。ただ、レオナが視界に入ると、レオナのことを考えると、耳栓をしたようにほかの気配が消えてしまうことは確かだった。
レオナが珍しく中庭を全力で走っていた。
何事かと授業そっちのけで窓から見下ろすと、ルークに追われていた。思わず笑いが漏れてしまった。隣のエペルの視線を感じながら、走り続ける姿を眺める。
随分長いこと走っているのか、汗が風に乗って飛んでいく。しずくは光を反射してきらめく。レオナを輝かせるための装飾であるかのように、光の粒がレオナの周りを囲んでいる。
「春、だね」
エペルの小さな呟きがジャックの耳を通り抜けていった。
寮に戻ると、談話室で寮生のくだらない冗談にレオナが大口を開けて笑っていた。鋭い牙が照明を反射して光った。
それでも、レオナのほうがずっときらきらしていた。一瞬目を眩ませた汗や牙の反射光より、ずっと強く。
太陽のように直視することもできなくなった。笑い声と匂いだけが、レオナがここにいることを示していた。
その場を離れることも惜しくて、少し離れたソファに腰を下ろした。
目を閉じても凶器のような光は消えない。頭がくらくらする。
「おいジャック、こっち来いよ」
機嫌のいいレオナが大声を出す。
薄く目を開くと、光の中でレオナが手招きしていた。
あの暴力的な輝きの傍に行かなくてはいけないのか。じんわりと滲む手汗ごと握りしめ、声に逆らえないジャックはのろのろと立ち上がった。
「こいつ、麓のカフェの店員に一目惚れしたんだと」
ゲラゲラと笑いながら、ジャッカルの獣人属の背中をバンバン叩いている。
「ハンカチ拾ってもらったときに手が触れちまったってな」
「お前ハンカチ持ってんの?」
「それだけって単純すぎんだろ」
わいわいとほかの寮生たちが囃し立てる。
ジャックは何が面白いのかわからず、ただ目の前の光から目を逸らして、顔を真っ赤にしている先輩を見た。
先輩は手をぎゅっと握りしめ、周りの野次にやめろよと言いながらも、なんだか嬉しそうに口元が緩んでいる。
「お前にも春が来たな」
ソファのカバーに隠していた酒をグラスに注ぎ、レオナは勢いよく呷ってまた笑った。
「春、ですか」
褐色の手が握る、琥珀色の液体が少し残っているグラスを見ながら聞き返した。
「春は恋の季節って言うだろ」
「それは……初めて聞きました」
「草木と一緒に芽吹いちまうんだよなア」
恋心が。
レオナの手が自身の胸をとんとんと叩いた。
「さっきから落ち着かないみてえだが、お前も恋してんのか?」
それはないか、と自分で結論を出してレオナは二杯目を飲み干した。
「恋、っすか」
意を決してレオナの目を見ると、やはり目が眩んでちかちかする。打ち上げ花火のような心臓の音が耳を塞ぐ。
「春だからな」
「春だから、ですか」
耐えきれずに目を瞑ると、レオナの顔が瞼の裏に焼き付いている。
ラギーが風呂の支度ができたと声をかけに来た。一言返事をして、レオナは立ち上がりすぐ近くを通り過ぎる。酒と汗の香りが鼻腔をくすぐる。
――これが春の匂いか。
レオジャク_2week
Twitter投稿2024.3.25
レオジャク
,
SS
2026.1.15
No.19
favorite
いいね
いいねありがとうございます!
戻る
ユーザ「えんがわ」の投稿だけを見る
(※
時系列順で見る
)
この投稿と同じカテゴリに属する投稿:
カテゴリ「レオジャク」の投稿だけを見る
(※
時系列順で見る
)
カテゴリ「SS」の投稿だけを見る
(※
時系列順で見る
)
この投稿日時に関連する投稿:
2026年1月15日の投稿だけを見る
(※
時系列順で見る
)
2026年1月の投稿だけを見る
(※
時系列順で見る
)
2026年の投稿だけを見る
(※
時系列順で見る
)
全年1月15日の投稿をまとめて見る
(※
時系列順で見る
)
全年全月15日の投稿をまとめて見る
(※
時系列順で見る
)
この投稿に隣接する前後3件ずつをまとめて見る
この投稿を再編集または削除する
« No.18
No.20 »
初期表示に戻る
春とは、始まりを意味することもあるのだと監督生が言っていた。
長らく学生生活を送っていると一年の始まりは秋だと思ってしまいがちだが、農業が盛んな地方では確かに春は始まりの象徴であった。
春とは、凍っていた畑にようやく鍬が入れられる時期なのだとエペルが言っていた。
寒く長い夜が明け、明るく開放的な世界が目の前に広がり始めるのは確かに春だった。
だからだろうか。
やけにレオナがきらきらして見えるのは。
歩道脇の雪が水となり、ちろちろと斜面を流れていくのを見ていた。蟻が数匹巻き込まれて、為す術なく溺れている。
メインストリートの端でしゃがんで地面を見ていると、不意に影がかかった。
「何見てんだ」
「蟻の春を」
「弱肉強食だな」
「水は強いっすからね」
見上げると、後光が差して神々しさすら感じるレオナの顔があった。
陽射しはレオナが遮っているというのに、眩しくて仕方ない。
「目でも悪くしたか?」
「なんで?」
「細めてるから」
「先輩の光が強くって」
レオナは訳がわからないという風に笑った。余計光が強くなった。
「それは春だからだよ」
「やっぱりそうか」
合同授業の準備中、レオナが眩しすぎると呟いたら監督生がそう言った。監督生はこの世界の常識はとんと知らないが、人の感情にはやけに鋭かった。監督生がそう言うのならそうなのだろう。
「でも不思議とほかの人は眩しくねえ」
「春だねえ」
「そうか」
監督生が言うには、春だから人が輝くわけではないらしい。よくわからないが、監督生がそう言うのならそうなのだろう。
「春で脳内ボケてんじゃね」
「んなわけねえだろ」
エースが言うことは絶対に間違っている。授業中、指されても一度も間違えないくらいに頭は冴えているのだから。ただ、レオナが視界に入ると、レオナのことを考えると、耳栓をしたようにほかの気配が消えてしまうことは確かだった。
レオナが珍しく中庭を全力で走っていた。
何事かと授業そっちのけで窓から見下ろすと、ルークに追われていた。思わず笑いが漏れてしまった。隣のエペルの視線を感じながら、走り続ける姿を眺める。
随分長いこと走っているのか、汗が風に乗って飛んでいく。しずくは光を反射してきらめく。レオナを輝かせるための装飾であるかのように、光の粒がレオナの周りを囲んでいる。
「春、だね」
エペルの小さな呟きがジャックの耳を通り抜けていった。
寮に戻ると、談話室で寮生のくだらない冗談にレオナが大口を開けて笑っていた。鋭い牙が照明を反射して光った。
それでも、レオナのほうがずっときらきらしていた。一瞬目を眩ませた汗や牙の反射光より、ずっと強く。
太陽のように直視することもできなくなった。笑い声と匂いだけが、レオナがここにいることを示していた。
その場を離れることも惜しくて、少し離れたソファに腰を下ろした。
目を閉じても凶器のような光は消えない。頭がくらくらする。
「おいジャック、こっち来いよ」
機嫌のいいレオナが大声を出す。
薄く目を開くと、光の中でレオナが手招きしていた。
あの暴力的な輝きの傍に行かなくてはいけないのか。じんわりと滲む手汗ごと握りしめ、声に逆らえないジャックはのろのろと立ち上がった。
「こいつ、麓のカフェの店員に一目惚れしたんだと」
ゲラゲラと笑いながら、ジャッカルの獣人属の背中をバンバン叩いている。
「ハンカチ拾ってもらったときに手が触れちまったってな」
「お前ハンカチ持ってんの?」
「それだけって単純すぎんだろ」
わいわいとほかの寮生たちが囃し立てる。
ジャックは何が面白いのかわからず、ただ目の前の光から目を逸らして、顔を真っ赤にしている先輩を見た。
先輩は手をぎゅっと握りしめ、周りの野次にやめろよと言いながらも、なんだか嬉しそうに口元が緩んでいる。
「お前にも春が来たな」
ソファのカバーに隠していた酒をグラスに注ぎ、レオナは勢いよく呷ってまた笑った。
「春、ですか」
褐色の手が握る、琥珀色の液体が少し残っているグラスを見ながら聞き返した。
「春は恋の季節って言うだろ」
「それは……初めて聞きました」
「草木と一緒に芽吹いちまうんだよなア」
恋心が。
レオナの手が自身の胸をとんとんと叩いた。
「さっきから落ち着かないみてえだが、お前も恋してんのか?」
それはないか、と自分で結論を出してレオナは二杯目を飲み干した。
「恋、っすか」
意を決してレオナの目を見ると、やはり目が眩んでちかちかする。打ち上げ花火のような心臓の音が耳を塞ぐ。
「春だからな」
「春だから、ですか」
耐えきれずに目を瞑ると、レオナの顔が瞼の裏に焼き付いている。
ラギーが風呂の支度ができたと声をかけに来た。一言返事をして、レオナは立ち上がりすぐ近くを通り過ぎる。酒と汗の香りが鼻腔をくすぐる。
――これが春の匂いか。
レオジャク_2week
Twitter投稿2024.3.25