これはおいしいお寿司

No.20

🦁🐺のなんか、多分春な話(twitterにそう書いてあったからこれがタイトル)

–多分、そう、それ

「なあ、気づいてるんだろ?」
 夏の草原を思わせる瞳が細く、ジャックを見ていた。

 図書館の奥も奥、人が滅多に来ない、埃が舞う書庫でレオナに勉強を教えてもらっていた。
 最初は一人でウンウン唸っていたが、いつの間にか近くにレオナが来ていて、なんの気まぐれか「教えてやる」と声をかけてきたのだ。
 何か企んでるんじゃないかと疑ったが、だとしてもそれがなんなのかさっぱり思い当たらず、隣の席に座ろうとするレオナを断ることはできなかった。
 レオナが近くにいると緊張するし、なんにも手につかなくなるから、わざわざ休日に寮を出たというのに。
 ここなら絶対鉢合わせることはないだろうと、文豪の分厚い全集や兵法書の並ぶ、たまに物好きのゴーストが近寄る程度の書庫を選んだというのに。
 今日は植物園でも中庭の気分でもないらしい。
「そこにはこの構文で」
 レオナは黙ってジャックの知らない作家の全集をめくりながら、ペンの音が止まったときだけノートを覗いてくる。そしてすぐにつまずいている箇所に気づいてヒントを出してくれる。
 それは簡素なもので、すぐに答えに辿り着かないが考え抜けば自力で解ける、微妙な塩梅だった。
 ここの教師陣はさすがというべきか、悪ガキ共を“あの名門校の生徒”に仕立て上げることのできる並ならぬ人たちが揃っている。レオナはその教師陣に劣らない知識量があり、教え方もうまい……と思う。
 答えに辿り着き、ああなるほどと呟いてジャックはまたペンを走らせた。
 ペンの音、紙をめくる音、二人分の衣擦れの音。
 インクの匂い、古い紙の匂い、真新しい紙の匂い、二人分の匂い。
 レオナの立てる音、発する匂いは気にしないように教科書の文字を追うことだけで必死だった。
 レオナがノートを覗き込んでくると、整髪料と混ざった彼自身の香りが鼻をかすめて、頭が支配されてしまう。
 鼻腔に広がる香りの中には土や草も混ざっていて、今日も植物園で寝てきたのだろうといつもの光景を思い浮かべた。木の葉の影が落ちるレオナの寝顔を思い出し、いけないと首を振って教科書に意識を戻す。
 それでもふとしたときに隣の存在のことを考えてしまって、慌てて止まっているペンを動かす作業を何度も繰り返した。
 ペンの音がしないとつまずいたと思ったレオナがまた近寄ってくるから、ノートの片隅で適当にぐるぐると円を描く。
 なんでこの人は隣にいるのだろう。
 ふらっと気まぐれで立ち寄れるような場所ではないのに。
 レオナさえいなければ、頭がからっぽのままペンだけを動かすことも、無意味にページをめくることもなかった。
 太字で印刷された文章をとりあえずノートに書き写して、さも勉強をしているように装う。こんな調子では明日の授業、ついていけるか不安だ。
 それでも「今日の勉強はここまでにします」と切り上げることはできなかった。終わらせたフリをして別のところに移動してしまえば、いくらでも勉強できるはずなのに。
 あーだのうーだの呻きながら数枚の紙を無駄にして、隣からページをめくる音がしばらく聞こえないことに気づいた。
 恐る恐る目線をやると、頬杖をついて本を読んでいたはずのレオナはその姿勢のまま目を瞑っていた。
 窓から入ってきた風が本のページをめくる。
 慌ててノートをちぎって栞代わりに挟んだ。
 大きな音を立てても、レオナが目を覚ます気配はない。
 長いまつ毛は天を向かず、緩やかな弧を描いて地に向かっていた。
 ほんの少し、唇から前歯を覗かせている。
 レオナの顔をずっと見ていると、長い焦げ茶が一筋、口元に引っかかっていることに気がついた。
 起こさないように。
 起きませんようにとおまじないのように唱えながら、そっと手を伸ばして髪をどかす。
 指先が頬をかすめ、レオナが少し唸った。
 すばやく手を引っ込めて息を潜め、様子を伺う。
 おだやかな寝息が聞こえて、息を吐いた。
 ほんの少し低い体温が指先に残っている。
 レオナは生きているのだと、自分と同じ世界で息をしているのだと、まるで世紀の発見をした科学者のように喜びを覚えた。
 そして同時に、自分と同じ存在であることが不思議と信じられなかった。
 どこまでもジャックを揺れ動かし、支配するこの男は別次元の、もっと何か尊い存在ではなかろうか。
 誰も寄せ付けず、人生に触れさせず、一人で真っ直ぐ生きている、これからもそうやって生きていくと信じていたのに、レオナだけは簡単にジャックを横道に誘う。
 レオナの存在を知らなかった頃の自分を、もう思い出せない。一人で前に進み続ける方法も忘れてしまった。
 レオナの世界にジャックは存在しているだろうか。
 ジャックの何倍も広いであろう世界の片隅に、少しだけジャックを留めておいてくれたらいいのに。
 長い息を吐いて、机に突っ伏した。
 もう構文なんか頭に入ってこない。
 今こうして視界に入れてくれてるだけありがたいのに、欲は果てしなく膨らんでいく。
 いつか生でレオナを見たい、いつか一緒にマジフトをやりたい、いつか並び立ちたい、いつか超えたい、いつか、いつか。
 だから、今のこの距離がいいのだ。
 これ以上願いが叶いそうもない、この距離が。
 叶わなければ、今以上に分不相応な欲を思いつくこともない。
 腕を枕に突っ伏したまま、顔を横に向けてレオナを見上げる。
 薄暗い部屋の中、小窓から入り込むほのかな光に輪郭が照らされ、淡く儚く見える。
 中身はあんなに図太いのに。
 自分で思いついた言葉に笑いが込み上げてきた。
 儚さとは無縁の人だ。
 誰よりも強く深く、大地に根を下ろしてテコでもへこたれない。目的のために手段を選ばず、ただひたすら頭を使って走り続ける人だ。
 寝息に髪の毛がふわりと揺れ動く。
 もう一度頬に触れてみてもいいだろうか。
 埃がついている気がして、と自分自身に言い訳をして手を伸ばす。
 だが、あと少しというところで、どうしてもその先に手が動かない。
 ほんの少し動かせば触れられるというのに。
 触れたいという欲を叶えたら、次は何を求めてしまうのだろう。
 ジャックは果てのない欲望に手を震わせ、引こうとした。
 引こうとしたというのに、なぜか手はぴたりとレオナの頬に触れていた。
 指先だけ、少しだけ触れたかっただけなのに。
 それだけでよかったのに。
 手のひら全体でレオナの頬を感じてしまっている。
 それも、レオナがジャックの手首を掴んでそうさせたのだ。
 レオナに触れている手が、燃えているように熱い。
 それはジャックの体温か、レオナの体温か。
 うっすらと緑色の瞳が顔をのぞかせ、ジャックを見下ろした。
 いつもきつめの角度で上がっている眉は下がり、どこか不安げに見える。
「なあ、気づいてるんだろ?」
 それは尋ねているようで、懇願のようにも聞こえた。
 レオナの手がジャックの手首から手の甲へと滑り、しかと握って離れない。
「何を……?」
 レオナを見上げたまま、動けない。
 レオナは少し笑って――それでも眉は下がったままだった――ジャックの手のひらに唇を沿わせた。
 湿った感触に息を呑む。

 ある日曜の昼下がりのことだった。

 

 

「気づいてるんだろ?」気づいてなかったねー
Twitter投稿2024.4.22

レオジャク,SS

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