これはおいしいお寿司

No.25

それは多分風

–クラブウェアに感謝

「先輩、決勝まで残るんで新人戦観に来てくれませんか」
 おずおずと差し出されたチケットには、陸上大会の文字が印刷されている。
「いろいろセキュリティが厳しくて、大会メンバーがチケットを渡した人しか観戦できないんです」
 突っ返される想像でもしているのか、ジャックの耳は少し垂れている。
「おう、起きたら行ってやる」
「ありがとうございます! 期待はしてないすけど、待ってます!」
 絶対に起きてやるという決意は隠し、ひねくれた返事をしてしまうが、それでもジャックは尻尾を振って喜んだ。
「ところでこのチケットは――」
「ラギー先輩にはもう渡したし……あ、お前らも観に来るか? よかったら来てくれ。デュースも走るぞ」
 自分だけにくれたのかとほのかに期待をしていたが、レオナに渡し終わったあと同級生にバラまいているのを見て、その期待は崩れ去った。
 ジャックのことが可愛くて可愛くて仕方ないというのに、ジャックはこちらのことなど、ただの頭がよくて何をやっても凄くて尊敬できる大好きな先輩だとしか思っていないのだ。
 レオナの尻尾が不機嫌に周りのものを叩いた。

 当日、予定より数時間早く目覚めることができたが、ジャックは既に発ったあとで、まだ薄暗い寮内はガランとしていた。
 レオナは用もなく所在なさげに寮内をうろつく。
 ラギーに作らせた予定表の出発時間まで、何をして時間を潰すべきか。

「なんスか、それ」
「映研の奴が持ってたカメラ」
「巻き上げたんスか、それ」
「拝借しただけだ。うちの職人にクリーニングさせて返すと言ってある」
「早朝に?」
「朝は朝だろ」
 いつも通りの時間に起きて寮長室に入ったラギーは、絶句した。
 何やら高そうなカメラを、レオナがせっせこと磨いているのだ。
「たかが寮生が出るってだけの大会で、なーんでそんなに気合い入っちゃってるんスかね」
「なんだっていいだろうが。それ以上言うとドーナツに挟んで揚げるぞ」
「さっせん。ま、起きると思ってなかったレオナさんが起きてるし? 行きますか、会場」
 レオナさんが起きなかったら便乗して行かないつもりだったのになあと、ラギーの小さなぼやきが聞こえた。
 俺はお前が行かなくても行くつもりだったがな、とレオナは声に出さずに呟いた。

 会場は熱気に包まれていた。
 かなり盛り上がる大会らしく、企業や各国の陸上チーム関係者があちらこちらに見られる。
「おい、ジャックはどこだ?」
「なんかリレーにでも出るとか言ってた気がするんスけど。予選は各競技一斉に行われるらしいんで、トラックのあたりにでもいそうっスね」
 様々な競技の選手が既に準備を始めており、目当ての一人を見つけるのは困難を極めた。
 レオナとラギーは二人で双眼鏡を構え、会場を端から眺める。
「うちのユニってどんな色でしたっけ」
「あのーあれだ、確か黒とか紫とかそんなん」
「あれ、レオナさんたまに陸部のグラウンド行ってるのにユニの色知らないんスか」
「馬鹿か。試合用のユニを練習では着ないだろ」
「それはそう」
 トラックをぐるりと眺めていると、レオナの視界に銀色が映った。
「いた」
「どこっスか」
「棒高跳びの近くであの尻尾のデケェ――」
 ジャックの後ろ姿を見守りながらラギーに説明していたが、途中でジャックが正面を見た瞬間に言葉を失った。
「あほんとだ。あっれー、ジャックくん、前髪上げちゃってぇ。気合い入ってるっスねえ」
 ワックスか何かで前髪を後ろに撫でているジャックは、スタートに向けて引き締まった表情で準備体操をしていた。
「……レオナさん?」
 年齢にしては厳つい顔をしているが、それでも年相応の幼い表情を見せることもあった。しかし、今はどこか大人びて見え、思わずまじまじと見つめてしまった。
「レオナさん、ジャックくんの応援しなくていいんスか」
 時間も忘れ、体を温めているジャックを黙って追っていると、ラギーが頭を叩いてきた。
「ってえ。今応援してんだろが」
「双眼鏡でガン見してるだけじゃないっスか。そうじゃなくて、頑張れーとか、そういうの」
「するわけないだろ。大体応援しなくても勝てる実力あんだろうが」
「気持ちの問題ですって」
「うるっせ」
 ラギーが裾を引っ張ってくるが、レオナは双眼鏡から目を離さずに背を丸めて、前のめりになってずっとジャックを見つめる。
「陸上部のユニってどうしてあんなに短えんだ」
「は?」
「短パンなんかほぼパンツだろ。下手したら俺のトランクスのほうが丈あるわ」
「あんたのトランクスのほうがギリ短いから安心してくださいっス」
「それにタンクトップ小さくねえか?」
「ぴったりサイズだろうが、どう見ても。レオナさんさっきからどこ見てんスか。彼氏のユニ姿を初めて見てキャーキャー言ってる女子高生かよ」
「俺が、女子高生……?」
「ハタチのダブりが女子高生になれるわけないっスよ。ほら、もう予選始まるっスよ」

 ジャックは速かった。
 それはもう文字通り、風のように。
 バトンを渡された時点で二位につけていたが、一位の選手を勢いよく抜き去り、そのままゴールテープを切った。
「二年差し置いてアンカー任されるだけのことはあるっスね。あのーあれ、ご機嫌フェイススタンプお茶会ジャンキーの子も早かったっスけど」
「そこまで言うなら名前呼んでやれよ」
「あ、なんか大会記録出るかもってざわざわしてるみたいっスね」
「ふん。俺の前でほかに遅れを取るわけねえだろ。はりきってんだろうな」
「多分レオナさんが来ることは期待してないと思いますけどね」
「控え室行くか」
「次決勝だから集中してるに決まってんでしょ。気ィ散らしたら可哀想だから大会終わってからっス」
 レオナは舌打ちして、双眼鏡を降ろした。
「予選一本走っただけで決勝に行けるのか?」
「予選全体のタイムで決勝に進むチームが決まるんスよ。だから予選でいいタイムが出たら次がラスト」
「つまりほかのチームが全員欠場すればいいってことか?」
「そんなことしたらジャックくんブチギレるに決まってるでしょ」
 マジフト大会でのあれやそれやを指しているのであろうラギーは、マスターシェフで黒い物体を食べたときの顔をしていた。
「それに、そんな小細工しなくてもうちのチームは速いみたいっスからね」
 電光掲示板では、数組走り終えたあとでもNRCのタイムが一番上で光を放っていた。
 残りの組数を考えても、ほぼ確実に決勝に進めるであろうことが見て取れた。
 ラギーは余裕しゃくしゃくといった様子で、レオナの財布を持って売店に行った。
 なんとなく大丈夫だろうとは思っていても、やはり一発で決まる勝負ではないのでハラハラしながら後続のレースを見守ってしまう。
 走り終えたジャックが視界から消えてしまったというのも、レオナの落ち着かなさに拍車をかけていた。
 結局、予選最後のレースまでレオナはモニターを見つめ、電光掲示板に映されるタイムを睨みつけていた。
「レーオナさん、戻ったっス。あ、もう予選終わったんスか? ほらNRC決勝残ったっしょ。そんな、手術室の前で赤いランプを見つめてる患者の家族みたいな顔しなくったって」
 二人分の飲み物と、二人分にしてはやけに多いフードを抱えてようやくラギーが戻ってきた。
 ホットドッグにかぶりつきながら、電光掲示板を見てラギーはへらりと笑う。
「このタイムじゃ優勝も狙えるっスね。なんてったって予選一位通過っスから」
「何があるかわかんねえだろうが」
「信頼して見守るのも寮長の務めっス。もう決勝始まるからジャックくん出てくるんじゃないっスか?」
 ラギーに言われて双眼鏡を手に取り、また会場をぐるりと見渡す。
 予選レースより幾分か険しい顔をして、トラックを睨みつけるジャックはすぐに見つかった。
「やっぱアレっスね。あの髪型はスーツとか似合いそう」
「スーツか。いいな」
 ラギーの言葉に適当に返して、またジャックを眺める仕事を再開する。
「ジャージを羽織ってんのはどうしてだ。腕は通さないのか。腕が冷えるんじゃねえのか」
「すぐ脱げるようにしてるだけでしょ」
「そうか、そうだな。それもそうか。いやしかし前髪をどうして上げるんだ」
「そこ戻るんだ」
「走ったときに風で前髪が上がるのがいいんだよ。今まで練習ではそうだっただろうが。どうしてわざわざ前髪を上げるんだ。練習と本番で環境を変えたら負けるかもしれねえだろ」
「さっきのタイム的にそこは問題なさそうっスね」
 決勝戦、第一走者がスタートラインに並ぶ。
 NRCの第一走者は某ご機嫌フェイススタンプお茶会ジャンキー寮の誰某だ。噂によると、彼はジャックに匹敵するほどのスピードを誇っている。予選でも第一走者として走っていたはずだったが、レオナはジャックしか見ていなかったため、ほかのメンバーの走りを知らなかった。
 スタートの合図が鳴り、歓声が大きくなる。
 レースが始まった。
 決勝戦でもレオナはジャックから双眼鏡の位置を逸らさず、メンバーの走りを見守るジャックを見守っていた。
 第三走者にバトンが渡ったのを見届けたジャックは、前に向き直る。
 仲間の足音に耳を傾け、腕を後ろに出しながらじりじりと足を前に出す。
 対戦チームは既に一人、走り出そうとしている。
 追って、バトンがジャックの手に渡る。
 瞬間、ジャックは地を蹴り、前の選手の背中を追う。
 後ろからもほかチームの足音が聞こえる中、ジャックはひたすらに前だけを見て足を前に進める。
 レオナは双眼鏡を握り直してジャックの走りを追う。
 一位の選手に追いつき、しばらく並んだかと思うと、コーナーでスピードを上げて前に出た。
 レオナは思わず立ち上がり、拳を握りしめて大きく振り回した。
 そして、スピードを上げたままジャックの厚い胸板が白いゴールテープを切る瞬間を目に焼き付けた。

「やるじゃねえか」
 スポーツバッグを背負って会場から出てくるジャックに声をかけた。
「レオナ先輩! 今日はありがとうございました!」
 レオナの姿を視界に入れたジャックは、ぱっと顔を明るくして走り寄ってきた。
「来てくれるとは思ってなかったんすけど、グラウンドに出たら真っ先にレオナ先輩とラギー先輩が目に入って。いつも以上に気合いが入りました!」
「え、双眼鏡の距離で見つけたんスか?」
「いや、本当はそれっぽい人ってだけなんすけど。でも先輩たちだと思ったら、すっげえ力出てきて。大会新記録出たのはチームの力と、あと先輩たちのおかげです!」
 前髪を上げたままくしゃりと目元に皺を寄せて笑う姿は、レオナの見慣れたジャックだった。
 レオナは黙ってジャックの髪をぐちゃぐちゃに掻き回す。
「先輩、ちょっと、やめてください! 俺の前髪!」
 セットが崩れて長い前髪が額に垂れる。
 レオナは満足げに笑った。

 

 

ジャックのクラブウェアを見て脊髄が書いてた
Twitter投稿2023.7.29

レオジャク,クラブウェア,SS

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