これはおいしいお寿司

No.26

これも多分風

–3部作予定だけどどうなるかは脊髄次第

 思ったとおり、日当たりのよい人目に付きづらいところで探し人は寝転んでいた。
 近づくと穏やかな寝息が聞こえてくる。
 ユニフォームのジャケットを地面に敷いて、眉間に皺を寄せて眠る姿をしばらく見ていた。
 小さなうなり声に、ラギーに頼まれてレオナを探していたことをようやく思い出した。
「これから大事な試合だってのに、作戦会議も適当で昼飯食ったら眠くなったって消えちゃったんスよ」と、ラギー率いるマジフト部員はレオナを必死に探していた。
 話を聞く限り、常習犯らしい。
 レオナらしいと思いながらジャックは試合会場をぐるりと囲んだ公園に足を運び、無事に探し当てたというわけだ。
 なんとなく起こすことが躊躇われたが、ほかでもないラギーの頼みだ。ジャックは息を大きく吸い込み――周りで人が芝生にシートを広げて、ピクニックを楽しんでいるのを見て息を吐いた――気持ち良さそうに眠るレオナの両肩に手を置き、思い切り揺らした。
「先輩、試合始まりますよ」
「ん……」
 ジャックの声にレオナはうっすらと瞼を持ち上げ、ぼんやりと目線を彷徨わせた。
「ラギー先輩が探しています」
「……そうか」
 しわがれた声で小さく返事をして、レオナはまた目を瞑った。
「寝ちゃ駄目ですって。次試合ですよ」
 もう一度大きく肩を揺らすと、握りこぶしが入りそうなほどの大あくびをしてようやく目を完全に開いた。
「まったく、余裕なんですか。対戦相手は結構な強豪ですよね」
「余裕じゃねえが、やっと作戦が決まったから休憩してただけだ」
 レオナの目線を追うと、体に隠れて見えなかった紙の束が乱雑に置かれていた。
 対戦相手の情報と、それに合わせた作戦のメモのようだ。ところどころ読みにくい走り書きの字が書き連ねてある。
「先輩って結構努力家ですよね」
 頭がいいからなんでも余裕なのだと思っていたが、なんでもそつなくこなせる人はインクを滲ませながら、余白という余白を文字で埋め尽くしたりしないだろう。
「んなもん、努力のうちに入らねえよ」
 皺の寄った紙の束をまとめてレオナは立ち上がった。
 軽く体をはたき、土埃を払う。そして芝生に敷いていたジャケットを羽織る。
「じゃ、行ってくる」
 レオナは無造作に紙をジャケットのポケットに突っ込み、会場へ歩き出した。太陽の下でも暗く、色彩を感じさせないユニフォームがかすかな風を拾って裾を揺らす。
 いつもと同じ後ろ姿のはずなのに、その背中は大きく見え、ジャックは黙って遠くなるのを見送った。

 観客席に入るとエースとデュースが席を取っておいてくれていた。
「おせえ」
「悪い、頼まれごとを済ませてた。最前席とは、いい眺めじゃないか」
「頑張って取ったんだから、感謝しろよな」
「そういやエペルはスタメンじゃないって言ってた」
「交代に選ばれるといいな」
 双眼鏡のレンズを制服の裾で拭って目に当てた。幼い頃両親にねだって、マジフト観戦用に買ってもらったものだ。
 フィールドを飛び回っている整備スタッフを適当に追いかけてピントを合わせる。ついでに会場をぐるりと見渡す。
 名門校であるNRC目当ての客も多いが、全国学生マジフト界で毎年ベスト8に入っている対戦相手目当ての客のほうが何倍もいる。
 観戦客の半分以上が対戦相手の応援に来ているだろう。下手したら雰囲気に呑まれてしまいそうだ。
 ごくりと生唾を飲み込んで双眼鏡を膝に置いた。
 準備は整った。

 両校の選手が入場する。
 選手は地面を蹴り空へ高く舞い、観戦客にその姿を見せつける。エペルやラギーたちはNRCの応援団が固まっている付近をゆっくりと飛び、拳を握ったりガッツポーズをするなどして、辺り一帯の士気を高めていった。
 対戦校の部長と共に最後に入場したレオナは、やはりその強さから人気が高く、会場のあちこちから歓声が聞こえてきた。
 レオナもほかの選手と同じようにNRCの応援席のあたりをゆっくりと飛び、客にその勇姿を目に焼き付けさせる。子どもも大人もNRCの生徒もレオナの一挙一動に声を上げる。会場のボルテージは上がり続ける。
 そして応援席を端から端まで眺め、燃える新緑がジャックを捉えた――ように感じた。
 レオナは二本の指で自分の両目を指差し、ジャックのほうにその指を向けた。
 まるで、〝お前を見ている〟とでも言うように。
 周りから見られているのはレオナのほうなのに、ジャックがきちんとよそ見せずに応援していることをずっと見張っているかのように。
 そんな錯覚を起こした。
「やべえ、目を離すなよ、だって」
「やっぱ四年も選手してるとファンサがサマになってんだな」
「早く始まってくんないかな」
 レオナが離れ、周りの歓声にジャックは自意識過剰になっていたと唇を噛んだ。
 大勢の観客の中からたった数秒で一人を見つけられるわけがないだろうし、何よりジャックを見つける理由がない。
 周りの言うとおり、ファンに向けてプレイから目を離すなとアピールしただけに違いない。
 邪念を捨てようと頭を振り、双眼鏡を構えて開始を待った。

 試合開始を告げる合図が空気を切り裂いた。
 ディスクはまずNRCに渡った。
 対戦相手の攻撃をくぐり抜け、ディスクがリングを通過する。
 先取点を決めたのはNRCだ。
「こりゃ幸先いいな」
「いやでも相手はあいつらだぞ。ここからだって」
 どっちを応援しているともつかない会話が聞こえてくる。
 マジフトで名を馳せる学校相手なら、そうなるのも頷ける。NRC生だからといって全員が全員NRCを応援しているわけでもない。
 つい周囲の会話に傾いてしまう耳を意識してフィールドに向け、試合に集中するよう努める。
 レオナは自分から攻撃することは少なく、上空からチームに指示することに徹していた。
 交互に点が入り、両校共に一歩も譲らない。
 圧倒的攻撃力で試合を意のままにし相手チームを蹂躙する展開も好きだが、見ていて熱くなるのは互いの喉笛に食らいつかんとする拮抗した試合だ。
 RSAに負け続けているNRCが別の強豪相手によく戦っているものだと、中立区域にいる観客の声もたまに聞こえる。
 そうだろう、なにしろあのレオナが指揮するチームだ。相手が強豪だろうが一方的な敗北を許すはずがない。
 チームワークに難があるのは確かだが、今のところ乱れはなく安心して応援していられる。
 互いに大きなリードを許さないまま試合は中盤にさしかかっていた。
「今んとこすげえ紳士のスポーツって感じじゃね」
「どこが? 前線の選手は血が出てたりしてんじゃん」
「いや、いつもならもう怪我人続出しててもおかしくない頃合いだなって」
「そういやそうか」
 確かに、フィールド内では魔法さえ使っていればどのような攻撃も大抵は許されるルール下で、怪我による交代が一切出ないのも珍しい。
 ジャックが違和感を覚えたそのとき、赤く光るディスクがレオナめがけて猛スピードで飛んできた。
 とっさに防御魔法を展開するのが見えたが、ディスクの勢いはさして衰えず真っ直ぐにレオナへ突撃する。
 激しい火花を散らし、煙に呑み込まれてレオナの姿は見えなくなった。
 大きな力で引き裂かれたようなジャケットの切れ端が、はらりと地面に落ちる。
 会場が静まりかえり、息を呑む。
 ジャックは双眼鏡を握る手に力を込め、目をこらして煙を見続ける。
 と。
 煙の中からレオナが飛び出した。
 手にはディスクがしっかりと握られている。
 会場は歓声に包まれ、NRCの応援団旗が風にはためいた。
 ジャックは長く息を吐き、肩の力を抜いた。
 レオナの手の中で小刻みに震えるディスクは少しずつ大人しくなり、やがて動きを止めた。
 審判の指示で試合が再開される。
「あんなやばそうな攻撃も跳ね返しちゃうんだな、うちの部長は」
「やっぱすげえよ」

 誰もがレオナを褒め称える中、ジャックは眉間に深い皺を刻んでいた。
 あのディスクはポイント目的ではなく、明らかにレオナへ攻撃しようと放たれたものだ。
 どのような攻撃も違反ではないとはいえ、直接的な攻撃ではなくディスクを介して攻撃するのは卑怯であると一部では批判の対象とされていた。
 あのディスクには、レオナが威力を削ってなおジャケットが裂かれるほどの力が込められていた。
 防御するのがあと少しでも遅れていたらと想像してしまい、汗がどっと噴き出た。
「ジャック、尻尾邪魔だから膨らませんな」
「見てるだけなのにすっげえ臨戦態勢じゃん」
「わかるぞ、のめり込む気持ち」
 給水のためにタイムを取り、選手がベンチへ向かう。
 ベンチでタオルやボトルを渡され、一息ついてるレオナまでもを双眼鏡で追いかける。レオナは汗を拭きながらバルガスと二、三言葉を交わしチームメイトに指示を飛ばす。話し終わったあと、背中から裾にかけて半分ほど布を失ったジャケットを見て、顔をしかめていた。
 休憩の終了を告げる笛が鳴った。
 フィールドに戻る前に選手、控えたちがそれぞれの背中や肩を叩き合い闘志を高める。
 と、一瞬だが、背中を叩かれたレオナが眉をひそめ目を瞑った。
 いや、杞憂だろう。
 思ったより背中を叩く力が強かっただけだとか、目に汗が入っただとか……そんなたいしたことのない理由に決まっている。
 杞憂であってくれ。
 祈るように双眼鏡を目に押しつけ、箒にまたがるレオナを追う。
 レオナはフィールドに戻るとき応援席に近寄るルートを選んだ。
 タイムで少し興奮が冷めてしまった応援席を盛り上げるためだろうか、拳を振り上げ声を出せと煽る。咆哮とも思える雄叫びを上げ、観客も戦えと叫ぶ。客もそれに応え、闘志を声に乗せる。
 肉眼ではっきりと表情が見えるところまでレオナが飛んできて、ジャックは双眼鏡を下ろして自分の目で姿を確認する。
 表情、動きにおかしなところはない。ベンチでの出来事は勘違いだと言い聞かせることもできた。
 だが、レオナが近づいてきたことで、ジャックの鼻に届いたのは血の臭いだった。
 相手と直接やり合うポジションならわかるが、ひとつ高いところから指令を出すレオナが返り血を浴びることなどないはずだ。
 息を呑んでレオナを見上げる。
「先輩……!」
 思わず引きつったような声が出てしまう。
 悲痛な声が聞こえたのか、箒に跨がったレオナがジャックを見下ろす。ジャックの周りで女性の悲鳴が聞こえた。にやりと笑って薄い唇が開く。
「馬鹿」
 歓声でかき消されて聞き取れないはずなのに、よく通るレオナの声が真っ直ぐジャックの耳に届いた。
 反射的に何か言ってやろうとしたが、レオナの次の行動がジャックの声を封じた。
 ジャケットを突然脱ぎ、ジャックに投げてよこしたのだ。
 考える前に落とすまいととっさに腕を伸ばし、無事にキャッチするが、どうしてこんなことをと視線を戻したときには、レオナはジャックから離れていた
 そして身軽な格好で試合前と同じように、自身の両目とジャックの目を指差した。
 何も言えずにぎゅっとジャケットを抱え直すと、鼻腔にレオナの汗の香りと血の臭いが広がる。
「よかったなジャック、特大のファンサじゃん」
「キングスカラー先輩ならまた新しいユニ買うだろうしな、気にしないで受け取っていいんじゃないか」
 隣の二人が興奮気味にジャックの肩を叩いて声をかけてくるが、ジャックは言葉少なに返事をすることしかできなかった。
 おそらく誰も気づいていない。
 獣人属が半分以上を占めるチームメイトも気づいていない、もしくは気づいていて動揺していないということは、かすり傷に血が滲んでいる程度ですぐどうってことないのかもしれない。
 暗示をかけるように何度も言い聞かせる。
 そうだ、眠いときは寝る人で面倒なときは面倒だと言う人なら、深い怪我を隠すはずもない。だから軽いはず。そうに違いない。そうであってくれ。
 天を仰ぎ、何かに祈った。
 試合が再開する。

 NRCの陣形は休憩前と同じだが、相手は作戦を変えてきたようだ。
 レオナが即座に作戦を切り替えて指示を出すも、先ほどまでとは違う動きに翻弄されてしまっている。
 どちらかといえば攻撃型のNRCに対し、守備を固めて堅実なプレイで点を獲得してきた相手が、今はNRCと同じように攻撃に比重を置いてし合いを攻略し始めている。
 前半で相手の力量を測ることに集中し、後半で相手に合わせた攻略法に変えて主導権を握るという作戦なのだろう。
 だが、そのくらい対戦相手のデータを集めさせていたレオナなら気づいているはずだ。特別に珍しい作戦でもない。
 当然何か策があるに違いない。
 時折顔面めがけて飛んでくるディスクを、レオナは焦るそぶりも見せずに余裕を持ってひょいひょいと避ける。
 その軽やかな動きに、ジャックは祈るのをやめた。
 今はレオナを信じるしかない。
 NRCの勝利を、レオナの無事を。
 気合いを込めて深呼吸をした瞬間、相手を追いかけて上空へ急上昇していたNRCの選手がバランスを崩し、箒から落下した。
 箒と選手の落下地点にはレオナがいる。
 選手がレオナに大声で呼びかけ、レオナが気づいて見上げたときには、既に衝突するまでギリギリのところにいた。
 選手がレオナに向かって落ちる光景がスローモーションのように見えた。ジャックはなんの意味もなさない音を発して立ち上がった。手を伸ばし、手すりから身を乗り出した。
 間一髪、選手に風魔法をかけて落下速度を和らげ、全身で受け止めることはなんとか避けることができた。だが、選手が箒を掴もうと藻掻いた腕がレオナの背中に叩きつけられた。レオナの眉が吊り上がる。
 地面にぶつかる前に箒にしがみつくことができた選手は体勢を整え、レオナに頭を下げた。そしてまた敵陣に突っ込んでいった。
 レオナの表情は一瞬で戻り、何事もなかったかのように涼しげな顔をしてまた眼下のチームメイトたちに指示を飛ばした。
 ジャックは脱力してへたり込むように着座した。無事……無事、でいいのだろうか。ともかく、有事にならなくてよかった。
 安堵するジャックをよそに、攻撃の意図を込められたディスクは、不思議なくらいにひっきりなしにレオナのところへ飛んでいく。
 軽やかにすべて躱すと思われたが、何度か避けきれず腕や足にぶつかることを許してしまった。
 応援席が大きくどよめく。
 一瞬を置いて、動揺の声は対戦相手への罵倒に変わる。と同時に会場全体の空気が盛り上がっていく。
「やっぱマジフトはこうでなくっちゃね」
「血が出てからが本番だよな」
「寮長、お返ししてやれ!」
「あンのアホ共に目に物見せてくれよ」
「ぶっ潰せ!」
 世も末な声があちこちから聞こえてくる。
 学園長が聞いたら「イメージが……」と言いながら卒倒しそうな単語を叫ぶ輩もいる。
 ジャックも、自身と関係のないチームによる試合であれば、選手の怪我は興奮を煽るスパイスとして楽しんで観戦しただろう。今までそうやって観戦してきた。
 しかし、レオナから血の臭いを嗅ぎ取ってから、どうにも楽しみきれずに不安を感じる自分がいる。
 なぜここまでレオナが狙われているのか。チームの要である司令塔を先に倒すことに決めたのだろうか――否。
「先輩が怪我していることに気づいて集中的に……いや、そうじゃない。ディスクも選手の落下も全部作戦だ。最初からレオナ先輩を真っ先に潰そうとしてやがったんだ」
 卑怯なやり方に拳が震える。
 ジャックが敵の狙いに気づいたところで試合は進んでいく。なおも攻撃的なディスクはレオナに集中している。
 レオナはその挑戦を真っ向から受けて立ち、防衛魔法やカウンター攻撃で凌いでいく。が、やはりすべてを躱すことはできなかった。
 レオナが自身に鉄壁の防御魔法をかけようものなら、攻撃の矛先はほかの選手に向く。
 既に何人もの選手が担架で運ばれ、控えが次々にフィールドに立ち、また退場していっている。
 ラギーはまだフィールドで粘っているが、レオナを付け狙う選手からディスクをかすめ取ろうとする度に、体格の良い別の選手が体当たりをしかけてくる。すばしっこいラギーもさすがに息切れして妨害を許してしまい、細い体躯で箒にしがみついているのが精一杯に見える。
 尊敬する二人の先輩の有様に、胸が苦しくなる。
 二番手、三番手になると当然スタメンよりは実力が低い選手が多くなってくる。もう何度目かわからない交代で入ってきた選手を潰されまいと、レオナは敢えて自身にディスクを引きつけ、そうして傷を増やしていった。
 NRCの応援席からはブーイングが巻き起こるが、それを気にする者は誰もいない。
 この場には血を血で洗うのがマジフトだと考えている者しかいないからだ。
 ブーイングはただの慣習でしかなく、それすらNRC側の観客は楽しんでいた。
 もはや誰の目にもわかるほど、レオナは満身創痍だった。だが、誰もレオナにベンチに下がれと言わない。
 唯一無二の司令官の交代は、敗北を意味するからだ。
 レオナにディスクがぶつかる度、心拍が上がっていくのを感じる。
 周りの人に聞こえるのではと思うくらい、心臓の音がうるさい。
 勝ってほしい、だがこれ以上傷つかないでほしい、でも負けないでくれ。
 ジャックはただただレオナを追うことしかできなかった。
「――おう、エペルが出るぞ」
「本当だ。アップしてる。でも大丈夫か?」
「僕たちより細っこいけど、ブッチ先輩より筋肉があるように見え……見え……見えるかわからないな、あれは」
「顔に怪我したらお前んとこの寮長がやばいぞ!」
「ヴィルがうちにカチコミしかけないように頼むぜ!」
 体の鍛え上げられた選手が退場する代わりに、まだ成長途中の小さく細いエペルが選ばれたようだ。エースやデュースの声が遠く聞こえる。
 この窮地でエペルもボロ雑巾のように怪我をして退場してしまうのか。
 ジャックは同クラスの友人に起こる悲劇を想像し、呻いた。だがそれでも双眼鏡は、がたがたと手が震えてもレオナから離さなかった。
 レオナが目をゆっくりと閉じ、開く。
 視線の先にはフィールドに入ってきたエペルの姿があった。
 レオナの瞳には絶望も諦めもなく、ただ新たな仲間を迎え入れ、勝利に向かう意志のみが燃えていた。
 双眼鏡越しにその瞳を見たジャックは、自分に向けられたものではないとわかっていても、一瞬怯んだ。
 ――フィールドに立っている選手が諦めていないのに、どうして応援する側の俺が弱気になっているのか。
 ――先輩たちを信じ抜いて勝負の行方を見届けるのが、応援席でやるべきことじゃないのか。
 拳を握り、自身の腿に打ちつけた。
 骨にまで響く痛みがジャックから迷いを消し去る。
 膝の上に置いたレオナのジャケットに触れ、大きく裂けた箇所を指でなぞる。摩擦で少し焦げたらしく、指先に布地が引っかかる。
 落ち着いて息を吸い込む。
「レオナ先輩! 勝て!」
 周りの応援や野次に負けじと叫んだ。
 大声を出すと頭がすっきりして、より視界がクリアになっていく気がする。
 震えの止まった手でもう一度双眼鏡を構え直し、レオナを見る。
 ジャックの声が届いているはずもないのに、レンズの向こうのレオナは確かにこちらを見て拳を上げ、口端から血を流しながらいつもの不敵な笑みを浮かべた。
 見えるわけがないのにと思いながら、ジャックは深く頷いた。
 とはいえ、試合は絶望的だった。
 点差は広がる一歩で、どう挽回していくのか見当も付かず、そもそも主力選手が次々に退場した今、攻撃力が圧倒的に不足していた。辛うじて試合の形になっているのが奇跡なくらいだ。
 だが、レオナには策があったようだ。
 エペルの準備が完了したのを確認して、メンバーに指示を出していく。
 エペルの両脇を体格の良い選手が援護するように挟み、三人で敵陣地へと特攻をしかける。
 防戦一方だったNRCの突然の攻撃に敵が怯んだ隙に、ラギーがディスクをかすめ取った。
 ラギーとエペルの間でディスクをカットするべく、敵選手が動いた瞬間、ディスクはレオナの手に収まった。
 エペルとラギーに意識を奪われていた上に、リングから遠く離れていたレオナのマークを外してしまっていたのだ。
 シュートモーションに入ったレオナの元へ敵選手が急ぐが、既に遅く。
 レオナの魔力をまとったディスクは空を切り、誰も触れることができないまま勢いよくリングに吸い込まれた。
 正確無比なコントロールと、距離に比例した魔力を持ち合わせていなければ成功などありえない。誰もが夢見る超ロングシュートに会場は静まりかえり。
 その日一番の歓声が沸き起こった。
 敵味方関係なく、マジフトオタクはスーパープレイを目撃したことに興奮し、レオナの名前を口々に叫んだ。
 ジャックも、エースやデュースと肩を叩き背中を叩き、雄叫びを上げた。
 たった一度のシュートで会場の雰囲気を自分の者にしたレオナは、動揺する相手の隙を塗って点を重ねていく。
 ほぼ無傷のエペルは果敢に敵陣地に乗り込み、ディスクに目もくれず荒らすだけ荒らして混乱させ、間接的に点を稼ぐ。
 ラギーは体力は消耗しているものの、鮮やかな手つきは健在なようで、エペルとレオナを警戒している選手の後ろからディスクを奪い、前線にいる味方に回していく。
 あとは自滅するのを待つのみだった敵選手たちは、突如としてまとまりを見せたNRCに激しく動揺し、連携が取れなくなっていた。
 レオナが動く度に舞い散る汗の粒が光り、意気揚々と指示を飛ばすレオナまできらめいて見えた。
 あの日――ジャックにレオナ・キングスカラーという存在を刻み込んだ、あの試合を思い起こさせるようなきらめきが、目の前にあった。
 ジャックは息をするのも忘れ、食い入るように双眼鏡を目に押しつける。
 テレビに釘付けになったあの日と同じように。
 あの日の憧れが、捨てたはずの憧れが蘇ってくる。
 NRCは相手が冷静になる前に新しく作った超攻撃的陣形で、点差を瞬く間に詰め、ついに追いついた。
 両校の選手とも息を切らし、ただただ気力のみで相手を睨みつける。
 敵チームも伊達に強豪と呼ばれておらず、徐々に落ち着きを取り戻し、陣形を整えていた。
 一歩も譲らない、互角の展開がまた始まると思ったそのとき、NRC側の選手交代が宣言された。
 レオナ、ラギー、エペル以外の四人が退場する。
 ここまで作ってきた、NRCに向いている流れをわざわざ切る意味はあるのだろうか。不思議に思って交代選手を見ると、そこには試合の一発目を彩ったスタメンが並んでいた。
 試合続行不可能と判断され、皆運ばれていったのではと、敵チーム、観客に動揺が広がる。
 レオナはその様子を見て、にんまり笑った。
 それをはっきりと見てしまったジャックは、頬に冷たい汗が流れるのを感じた。
 あの窮地はもしかしたら、レオナの作戦だったのではないか。
 相手を油断させるため、終盤の攻撃に余力のある一番強い選手たちを温存させるため、敢えて一旦劣勢に持ち込んだのだとしたら。
 会場は脅威の回復を遂げた――ように見える――NRC選手を讃え、NRCを応援する色に完全に染まっていた。
 NRCのほぼフルパワーのスタメンによる超攻撃的マジフトに、疲弊した相手は取り戻したはずの冷静さを失い、もはやNRCの一方的な試合となった。

 強豪校相手にまさかの逆転勝利という結果で、試合は幕を閉じた。
 会場から出て帰路についても、興奮冷めやらぬエースとデュースが口々に感想を言い合う。
「エペルって箒に乗るとあんなに人格変わるんだな」
「飛行術ンとき、エペルに近づくのやめとくわ」
「いや、逆に僕は教わりに行くぞ。あれだけ上手に飛べたらさぞ気持ちいいだろうな」
「ウワ出たスピード狂」
「ブッチ先輩もすごかったな。僕たちのペンはああやってスられていったんだって解説されてる気分だった」
「見るとこそこなわけ? ディスク奪われたことに相手が気づいた瞬間、めっちゃ煽る顔してて一番やばいと思ったわ」
「ああ、あれか。確かにぶん殴りたくなる気持ちがわかる。冷静さなんかなくなってしまうな」
「いやあ、味方だったことなんか一回もないけど、もう二度と敵に回したくなんかないね」
「でも一番すごかったのは、やっぱりキングスカラー先輩だよな」
「それはそうだろ。MVPモンだわ。な、ジャック」
 二人だけで会話を弾ませているのをいいことに、今日の試合を振り返っていたジャックは突然話を振られて肩をびくつかせた。
「え、あ、ああ、そうだな」
「なあ、聞けよデュース。ジャックな、うちがすげえ追い上げてるとき、めっちゃきらきらした目で見てやんの」
「は? 一体なんの話だ」
「口がぽけーって半開きになっててさ」
「おい、エースやめろよ」
「へえ、ジャックもそんな顔することがあるんだな」
 二人とも完全にジャックをからかうモードに入ってしまっている。ムキになればなるほど、特にエースは喜ぶとわかっていても、つい言い返してしまう。
「デュースも本気に取るなよ」
「まるでデュースがマジホイの最新カタログを見てるときみたいだったぜ」
「ちょっと、なんでいきなり僕の話になるんだ」
「いやだってお前、あんときの顔やばかったんだって。恋する女の子みたいだったわ。もしかしてデュースの好きなタイプってマジホイ?」
「待て、どうしてそんな話になるんだ。僕はただ単に――」
 矛先が自分から逸れたことをしっかり確認し、ジャックは会話からそっと抜けた。
 そして無意識に両腕に抱えていたジャケットを握りしめ、その存在を思い出す。
「あー、悪い、二人とも。先に帰っててくれ。先輩に挨拶してくる」
「おう。ったく律儀な奴。相変わらずラギー先輩の舎弟やってんのな」
「じゃ、また明日」
 二人と別れ、足早に会場へ戻る。
 関係者の出入り口はこの辺りだろうと見当をつけて付近を彷徨っていると、何かに蹴つまずいた。転ぶすんでのところで踏み止まって足下を見ると、先ほどまで試合をしていたレオナが倒れていた。
 やはり傷は相当に深かったのではと慌てて抱き起こすと、いつもどおりの健やかな寝息が聞こえてきた。消毒液の匂いが漂っている。
「寝てんのかよ」
 脱力してその場に座り込み、空を見上げる。
 太陽が眩しい。
「……膝枕とは、随分積極的な後輩を持ったもんだいってえ」
 ぼんやりとしていると、寝ているはずのレオナが突然話し始め、思わずレオナの頭を地面に落としてしまった。
「今日頑張った先輩にずいぶんなご挨拶じゃねえか」
「あ、すみません。びっくりして、つい」
 レオナは頭を撫でながらぶつくさと上体を起こし、ジャックと向かい合う位置に移動した。
「で?」
「で、とは……」
 レオナが何かを聞きたそうに話を促す。
 試合後に聞きたいことはやはり、試合のことだろうと適当に察することにした。
「……どこからが作戦だったんすか」
 一番気になっていることを冷静に聞いたつもりだったが、思ったよりも苛立っていたようで、冷たい声が出た。レオナはへらりと笑った。
「なんのことだか」
「怪我ですよ。あんな、ズタボロになって」
 眺めることしかできなかったあの時間のことを思い出し、ジャックは体を震わせた。今だって手当の跡が顔や腕に見え、とてもじゃないが平静でいられない。
「最初にぶち当たった奴以外は全部わざとだ。ああ、うちの選手が落ちたのはあっちの作戦だが」
「どうしてそんなことを。背中大丈夫なんすか。勝敗より先輩のことが心配で気が気じゃなくて……」
 思い出しただけで血の気が引いてしまう。言葉を途切れさせたジャックの頭にレオナが手を置いた。
「心配かけたな。ま、背中は一週間くらいしたらよくなるって言われたから大丈夫だろ。自分は強いと信じて疑わない奴らの鼻を明かしたくなってな。油断したところで逆転したときのツラを拝んでやりたいだろ? 格下と思っていた奴らに騙されたと知ったときのあの顔ときたら、まだ笑っちまうぜ」
「最悪だしめちゃくちゃですよ……」
「だけど、最後の展開はよかっただろ。冷静になったところで消えたはずの主力選手が雁首揃えてんだからよ。立ち直ったと思った瞬間にメンタル崩されたら、そう簡単には元に戻れないってもんだ」
 スタメンが動けなくなって交代したところから、作戦は始まっていたと。
 ジャックをなだめつつ、少し得意げに話すレオナが憎たらしくなってきた。
 血の臭いひとつで動揺した自分が馬鹿馬鹿しい。部員全員がグルだったとは。
「そんなの、全然フェアじゃねえ」
「勝つためならなんでもやるって知ってんだろ」
「知ってますけど」
 幼い日に見たあの神々しい姿は、テレビに切り取られたレオナの断片でしかない。
 それを嫌というほどこの数ヶ月で思い知らされてきた。
 ジャックが憧れた姿も、少々曲がった戦術の上に成り立っていたものかもしれない。
 それでも。
「悔しいけどかっこよかったです」
 大切にしてきた憧れが壊れる音とともに、新たな憧れと尊敬が生まれたことは自覚していた。
「やっぱ先輩はすごいって思いました。怪我しても最後まで諦めずに目の前の敵に挑み続けるのなんか、先輩のプライドを見た気がしました。不屈ってこういうモンなんだと、先輩の姿が教えてくれたんです」
 まあ、それも作戦の内で大変上手な演技だったみたいですけど。
「なんてったって、試合の流れを変えたあのロングシュートにはしびれました。見ている奴らにうちのレオナ先輩は最強なんだって、他寮の奴らにうちの寮長は最高なんだって、自慢できた気分です」ひとつ、言葉を発すると試合中に抑えてきたレオナへの感情が堰を切ったように溢れ出てくる。「あのとき、俺が先輩を好きになったのって会場の注目を集めて、誰も追いつけなくて、堂々とかっこよく空を飛び回る姿だったなって思い出しました」
「そうかよ」
 ぶっきらぼうに、しかし嬉しそうにレオナは笑った。レオナが笑うなら、何度でも褒めたいと思ってしまった。が、なぜだかレオナの顔を真っ直ぐに見られなくなり、うつむいた。
 うつむいたところでずっと抱えていたジャケットを返しに来たことを思い出した。
「そうだ、預かっていたジャケット。もう着ないと思うんですけど、返します」
 慌ててうつむいたままジャケットを差し出す。
 汗が引いて、きっと体は冷えているに違いない。
「ああ、悪い。ところで――」ジャケットを受け取ったかと思うと、広げてジャックの肩に羽織らせてきた。「これを着てみる気にはなったか」
「これを……着る……?」
 試合中、ずっとジャックを悩ませてきたレオナの香りと血の臭いにまた襲われ、頭がくらくらする。
「お前のポテンシャルなら、今から入部してもすぐレギュラーを狙える。俺と飛んでみないか」
 ジャックは差し出された手を呆然と眺めた。
 ずっと憧れだったレオナから誘ってもらえるなど、二度とないチャンスだ。この手を取れば勝ったときも負けたときも、すべての喜びと悔しさをレオナと共有することができる。憧れのプレイヤーと肩を並べて戦うことができる。
 息を止めて傷だらけの手を見つめ……口を開いた。
「俺は、飛ぶことより走ってる方が性に合うんで」
「……そうか」
「で、でも!」断りの言葉を聞いて、引っ込められようとしたレオナの手を強く掴んだ。「寮対抗とか、部活関係なく戦えるときは先輩と戦いたい。だから……またあんたに選んでもらえるように強くなります」
 今年の寮対抗は全力は尽くしたものの、万全なコンディションで臨むことはできなかった。もし次があるとしたら、レオナと同じ目標に向かって突き進みたい。
「俺は贔屓しないからな。部の連中より強くなったら選んでやる」
 にやりと笑いながら握り返してきた力は痛いほどに強かった。
「当然っすよ」
 まずは自分の力を認めてもらうこと。
 そして追いかけ続けた先で、本気のレオナと戦い、いつか追い越したいと。
 力強く握りしめながら、とてつもなく分厚く高い目標を見据えた。

「先輩がジャケットを羽織らせたから、血が制服についたんですけど」
「……クリーニング代は出す」

 

 

ラギーのクラブウェアを見て脊髄が知らんうちに書いてた
Twitter投稿2024.1.27

レオジャク,クラブウェア,短編

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