これはおいしいお寿司

No.33

アドベントカレンダー2024

-7日目

 夕べはなかなか寝付くことができなかった。
 レオナに飛行術を教えてもらい、後ろに乗せてもらい、夜の空を飛び回った。
 星がきれいだったはずなのに、もう覚えていない。
 目を瞑ると広い背中と、気まぐれに揺れる長い尻尾が現れる。
 追い払うように毛布に潜ると、乾いた空気に漂うレオナの香りを思い出す。
 眠らなければ、と毛布を握りしめて瞼を強く瞑っているうちに、アラームが鳴った。

「ジャック、ひどい顔だぞ」
「うるせえ」
 寝不足から食欲はなく、授業も身が入らず、部活も散々なタイムを記録して終わった。
 デュースが心配そうに顔を覗きこんでくるが、払いのける元気もなかった。
 ため息をついてグラウンドを後にする。
「最近ぐっと寒くなってきたし、風邪でも引くんじゃないか?」
「体調管理はしっかりやってる。お前こそ甘いモンばっか食って栄養偏らせんなよ」
 ハーツラビュル寮生特有の体に染みついた甘い香りが、ジャックの鼻先を漂う。
「プロテイン馬鹿には言われたくない」
 ふんと口を尖らせるデュースを見て、口角を少し上げた。

 デュースにはああ言ったものの、体は重い。
 いつも睡眠時間まできっちり管理して体調を崩すことはほとんどないため、寝不足から来る体調不良なのか、別に原因があるのか判断がつかなかった。
 とりあえず、夕食前に一眠りすることにした。
 寮への鏡を潜り、ゆっくりとした足取りで自室に向かう。
 一歩進むたびに足が鉛のように重くなっていく。大したものは入っていない胃袋がひっくり返るような感覚がある。
 やっとのことで部屋に辿り着くと、着替えもそこそこにベッドに潜り込んだ。
 少し冷や汗をかいたのか、体表がひんやりとしている。
 シーツと毛布に体温が早く移るよう、かき寄せる。
 末端から寒さが広がるような気がして、体を丸める。
 寮内は室温調整されているはずなのに、寒くて仕方がない。故郷の厳しい冬を思い出すようだ。
 吐いた息で指先を温め、ようやくベッドの中が暖まりだした頃に眠りへ落ちていった。

 頭の痛みで目が覚めた。
 時間を見ると、夕食の時間はとうに過ぎていた。
 プロテインを食事代わりにしてもよかったが、まだ食欲は湧かなかった。
 もう一度寝ようとして、まだレオナの部屋に行っていないことに気づいた。
 約束は守らなくてはならない。
 なにより、ジャックを待っていつまでも起きているかと思うと、このまま眠ることはできなかった。
 寝ずに本を読んでいた姿が脳裏に浮かぶ。
 いつ行くとは言っていないから、もしかしたら今日もまだ起きているかもしれない。
 ベッドから這い出て、震える指で服の皺を整える。髪を軽く撫で、まだぼんやりとする思考をクリアにしようと、頬を叩いた。
 ナマケモノのような速度で歩を進める。時折地震のような目眩に襲われる。
 レオナの部屋がいつもの何倍も遠く感じた。
 ふらつきながらドアの前に立ち、気合いを入れ直す。無理矢理背筋を伸ばし、いつも通りを装う。
「先輩、こんばんは」
 一歩一歩床を確かめながら部屋に入る。
 レオナは予想通り、寝ずにベッドの上で本を読んでいた。
「遅かったな」
「あ……復習が終わらなくて」
「夕食も来てなかったみたいだが」
「……部活終わりにデュースと購買で軽食食べちったんで、腹が空いてなかったんです」
 まさか昨日の夜の散歩が忘れられず、寝不足で体調を崩したとは言えなかった。情けない姿を見せられないと思うと同時に、言ってしまえば、もう二度と連れ出してくれないかもしれない、と恐れを抱いてしまった。
 疑わしいといった目でレオナはジャックを見やるが、本当のことだと視線に力を込めて見返すと、諦めたようなため息をついた。
 うまくごまかせたと息を吐き、ジャックは机の上のアドベントカレンダーを手に取った。
「今日は……マドレーヌっすね」
 引き出しを開けると、バターと柑橘類の香りが広がる。
「マドレーヌか。食事抜いた奴にはちょうどいいんじゃねえか?」
「こんな小さいのに腹持ちがいいわけないっす」
 胃袋は空っぽなのに、一口サイズのマドレーヌすら食べられそうになかった。
 それを気取られないようにパッケージを破く。
 強烈な甘い香りと油の香りに、胃から何かが込み上げてくる。
 粗相をしないように慌てて唇を噛みしめ、喉元に力を入れる。
「どうした」
 不審そうにジャックを見上げるレオナに、すぐ返事ができなかった。
 胃が落ち着いたと確信を得てから、そっと口を開く。
「えっと……しゃっくりが出そうになって」
「そうか。それにしちゃえらく顔色が悪いが」
「気のせいじゃないっすか」
 言葉を重ねるが、レオナは今度はごまかされてくれなかった。
「こっち来いよ」
 訝しげな顔をして、ベッドの傍に立ったままのジャックの袖を引っ張る。
 急なことに踏ん張れず、ベッドに倒れ込んだ。
 毛布にもシーツにもレオナの匂いが染みこんでいる。
 途端に頭がぐらぐらとして、目の前が回る。
 我慢していた頭の痛みが強くなり、思わず目を瞑った。
 普通であればすぐ起き上がって抗議の一つでもするはずなのに、倒れ込んだ体勢のまま動かないでいるジャックにレオナは異常事態を悟ったようだった。
「具合が悪いならわざわざ来るなよ」
 レオナの声音に、真冬の窓ガラスのような冷たさを感じた。
 だから悟られたくなかったのに。
 吸い込んだ空気が喉元に貼り付き、ヒュッと音を鳴らした。
「戻れなさそうだな。今日はここで寝ていけ」
 力なく下半身をベッドの外に投げ出したまま動けないでいると、足をベッドの真ん中に引きずられた。そしてレオナの温もりが残ったままの毛布をかけられる。
 昨日何度も思い出した香りに包まれる。
「だいじょうぶ、です。もどります」
 ジャックのうまく回らない頭は、このイレギュラーな現実から日常に戻ろうと必死になっていた。力の入らない腕でベッドから出ようと藻掻く。
「廊下で倒れてみろ。二度とこの部屋の敷居を跨げないようにしてやる」
 何か言おうとした唇が震える。
 いや、唇だけでなく体中が猛烈な寒気に襲われ、雪山で吹雪に遭遇したときのように歯がガチガチと鳴る。
 かと思うと、急に燃えるように体が熱くなり、首元まで覆い被さっている毛布を除けたくなる。
 どうしたらいいかわからなくて腕を毛布の外に出し、何かを掴もうと動かしていると、冷たいものに手が触れた。それはジャックの腕を掴んで毛布の中に突っ込む。
 のろのろとした脳みそが、遅れてレオナの手だと認識した。
 そして、レオナの部屋にいることを思い出した。
「せんぱい、どこで寝るんすか」
「人の心配してる場合かよ」
「せんぱいも、ねないと」
 あの日のように、自分のために眠れない時間を過ごさせたくなかった。
 熱で茹だった脳みそがそれだけを訴える。
「わかった、そのへんで寝るからお前は寝ろ」
「ちゃんとベッドで……」
 レオナの声が柔らかく感じて、安堵したまま睡魔に襲われる。
 ジャックの手を掴んでいる手を握りしめ、意識を手放した。

 瞼の向こうの明るさに、少しずつ覚醒していった。
 朝が来たらしい。
 そっと目を開けると、眠るレオナの顔が視界に入ってきた。
 驚いて声を上げそうになったが、すんでのところで口を閉じた。
 レオナはベッド脇の椅子に座り、枕元あたりに上半身を預けて眠っていた。
 どうしてそんな無理な体勢で、とあたりを見回すと自分の手がレオナの手を握っていることに気づいた。
 途端に熱がぶり返したように顔が火照る。
 慌てて手を離そうとすると、レオナがジャックの手を強く握り直してきたせいで、それは叶わなかった。
 頭痛はなく体は軽くなったというのに、熱だけが下がらない。
 早く起きてほしいと願いつつ、なぜかこの時間が長引いてほしいと思ってしまう。
 体中痛え、と呻きながらレオナが起きるまで、ジャックは繋がった手をずっと見ていた。

 

 

Twitter投稿2024.12.10

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