これはおいしいお寿司

No.34

アドベントカレンダー2024

-8日目

 レオナが目を覚まし、授業を受けるか休むか盛大に揉めた。
 ジャックはただの寝不足で今は元気になったから問題ないと言い、レオナは普段ピンピンしやがるお前が寝込むのは余程のことだからまだ寝てろと言い、結局ジャックが折れることになった。
 続いてレオナの部屋で一日看病されそうになったが、授業を休むことに同意したのだから、せめて自室で寝かせてほしいと懇願し、粘りに粘ってどうにか譲歩させた。渋い顔をしたレオナに部屋まで送ると言われたが、子どもじゃないと言い返してようやく寮長室を脱出した。部屋を出るまでにどれだけ時間がかかったことか。
 しっかり寝たはずなのに、既にジャックは疲労困憊だった。
 まだ気怠さの残る体を引き摺り、廊下を歩く。
 太陽が昇りかけている午前の冷たい風が吹き抜ける。
 人が出払った寮内は、いつかの夜明け頃のように静かだ。鳥の鳴き声だけが聞こえる。
 世界中に一人だけのような気持ちになったが、二度寝を決め込んでいるであろうレオナが寮内にいることをすぐ思い出した。
 目覚めてから三、四時間ほど、レオナと繋がっていた手がくすぐったい。
 歩きながら手を握ったり開いたりと落ち着かない。
 あの感触がまだ残っている気がする。
 レオナの手は少し乾燥していて、長い中指の第一関節にペンダコができていた。
 誰が手入れしているのか、自分で手入れしているのか、爪は短く切り揃えられ、ささくれの一つもなかった。
 ジャックに熱が残っていたせいだろうか、手のひらは熱が移って温かいのに、指先は冷たく感じ、興味ないもの、格下相手を見るときの目を思い起こさせた。
 レオナが起きて力が緩んだ隙に、すばやく自分から手を引っ込めてしまったが、もう少し繋いでいてもよかったかもしれない。今さらあの手触りが名残惜しいと思ってしまう。
 ぼんやりと思考の進むがままに任せていたが、慌てて首を横に振る。
 滅多にない体調不良に心が弱くなったせいか、まるで親の姿を求める子どものようなことを考えてしまった。自分はもう十六歳、相手は二十歳。自立すべき年齢だし、レオナとは親子のような年齢差ではない。そして、親子のように無償の感情を求めていい相手でもなかった。
 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、頭が急激に冷える。
 身震いをして足早に廊下を歩いた。
 自室に戻ると、当然だが誰もいなかった。
 がらんとした部屋で一人、机に教科書を広げる。
 体調は戻ったのだから、遅れを取り戻さないといけない。昨日できなかった復習と、今日進むあたりの予習をしたあとで室内でできる範囲のトレーニングと……。
 昨日は必要な栄養をまったく摂取できていないので、その場しのぎではあるが日課のプロテインを作り、勉強の合間にちまちまと飲む。食欲が完全に戻ったわけではなく、半分ほど飲んだところで満腹になってしまった。
 心身がまだ本調子ではないと訴えかけてくる。
 レオナの部屋で一晩過ごし、体に移ったほのかな香りで集中力が途切れる。
 香りから連想して、目が覚めて真っ先に視界に映り込んだレオナの寝顔が瞼の裏に映る。
 ジャックは教科書を閉じた。
 全部体調を崩したせいだ。
 食欲がないのも、勉強に集中できないのも。
 体を動かして気を紛らわせようと、筋トレを始める。
 ルームメイトがいないので、空きスペースを広く使い、必死に集中する。
 筋肉の名前を唱えながら汗を滲ませていると、突然扉が開いた。
「――寝てろと言ったよな?」
「な、なんで先輩が」
 眉間に皺を寄せたレオナを見た瞬間、運動で高まっていた心拍数が跳ね上がった。
 驚いて声がうわずってしまう。
「後輩の様子を見に来て何が悪い」
 ジャックの了解を得ずに、レオナはつかつかと部屋に入ってくる。
「……てっきり寝直しているかと」
「寝飽きた」
「先輩が?」
 レオナの口から出たとは思えない言葉に目を見張るが、当の本人は意に介せず、ジャックの首根っ子をひっつかんだ。
 咄嗟に抵抗するが、すっかり油断していた体は言うことを聞かず、そのままベッドに放り投げられた。
「何するんですか」
「大人しく眠れねえ子犬の監視してんだよ」
 古い椅子にどっかりと座り、レオナはジャックを見下ろした。
 ぎらりと光る瞳は監視カメラのようで、たとえ強い眠気があったとしても眠れそうにない。
 ジャックはもそもそと毛布の中に潜り込むが、目が冴えてしまっている。
「夕べ、充分寝たのでもう寝られないです」
「だとしても安静にしとけよ。読書くらいならまだしも、筋トレなんて脳筋にも程がある。んで、優等生なお前は勉強もしていたと」
「べ、勉強は安静のうちに入ります」
 予定より短時間で切り上げてしまったが、椅子に座って動かないでいるなら問題ないだろうと抗議の声を上げる。
「頭も体も使うなって言ってんだよ」
 レオナは呆れた顔で机の上の教科書をぱらりとめくった。
「一日休んだ程度で追いつけなくなるお前じゃないだろ。わからねえことがあったら教えてやるから、今は寝てろ」
 ジャックは、レオナのため息交じりの言葉に少し嬉しくなっている自分を感じた。理由はなんであれ、教えてくれるという言葉が頭の中を埋め尽くす。
「約束っすよ」
「ああ」
 興奮で、余計に眠れなくなってしまった。
 にやける口元を毛布で隠しながら、目線が天井とレオナの顔を行ったり来たりする。
「寝ろよ」
「眠れねえっす。部屋だってこんなに明るい」
「俺は眠れるが?」
「先輩の狂った体内時計、俺は持ってないんで」
 というか、きちんと横になって眠れていないのだから、自分の部屋に戻って好きなだけ寝てればいいのに。
 小さくこぼす。
「お前が寝たら戻る」
「そっすか」
 何気ないように軽口を叩いているが、下がったはずの熱がぶり返しているように感じていた。
 これ以上レオナの前で冷静でない自分を見せたくないと、必死に平静を装う。
「先輩、このままじゃ眠れねえんで、今日の分のアドベントカレンダー開けたいです」
 レオナがカレンダーを取りに寮長室に戻った隙に、寝たふりをして意識の外に追い出してしまいたいと、思いついたままに口を開いた。眠ってしまえばレオナはここから完全に出て行ってくれるはず。
 だが、レオナはいつの間にかアドベントカレンダーを手にしていた。
「ちょうど持ってきていたから、開けるか」
「え、いつの間に……」
「大きさを変えることなんざ基本中の基本だろうが」
 なんでもないことのようにレオナは言うが、ジャックにはまだ使えない魔法だった。
「今日の分は、なんだこれは」
 引き出しを開け、小さな包みを摘まんだレオナは首を傾げる。
 人工的な香りがふわりと広がった。
「なんすか」
 ジャックが手のひらを差し出すと、いくつか入っているうちの一つを載せてくれた。
 銀紙の包装の上から紙で一巻きしてある。
「これ、ガムっぽいですね」
 少し力を入れてみると、かすかに弾力を感じた。
「ガムか……」
 食べたことがあるのかないのか、レオナは口に入れようか悩んでいるようだった。
「寝ながら食うわけにはいかないんで、味の感想言ってください」
 食べたことがあるにしろ、こんなチープな味は滅多に味わえないだろうと、イタズラ心でレオナに言う。
 断られると思ったが、ジャックに言われたレオナは口をへの字に曲げながら嫌そうに包装を剥がし、口にガムを放り込んだ。
 そして黙って三十秒ほど噛み、銀紙に吐き出した。
「まずい」
「知ってた」
 口をへの字に曲げたレオナは、あろうことか机の上に置いていた飲みかけのプロテイン飲料を一気に呷った。
「先輩、それ俺の」
「……このプロテインもまずいな」
「庶民の味ってやつです。っていうか、人の飲み物勝手に取らないでくださいよ」
「いいだろうが。お前のモンは俺のモンだ」
「ウワ横暴」
 なんだっけな、監督生がこういうのをジャイアンって言ってた気がする。
「ほらカレンダー開けたんだから寝ろ」
「さっきの今で眠れるわけないっすよ」
 せめて穏やかに過ごせていたら眠気が徐々にやってきたかもしれないが、話せば話すほど眠気は遠ざかる。
「わかったわかった、じゃあ目を閉じろ。口は開くな」
 むくれていると、急に視界を塞がれた。
 真っ暗な中、レオナの手のひらを瞼に感じる。
「睫毛がくすぐったいから、まばたきするな」
 抗議するのも疲れ、ジャックは言われるがままに瞼を閉じた。
「よし、いい子だ」
 レオナが何か小声で呟くと、瞼がすこし温かくなり、急激に眠くなってきた。
 強引な眠気に抗うこともできず、ただレオナの存在だけを懸命に意識しながら、闇の中へ落ちていった。

 次に目を覚ましたときにはレオナの姿はなかった。
 夢かと思ったが、飲みかけのプロテインと、アドベントカレンダーと、ガムが数個机の上に置かれていた。

 

 

Twitter投稿2024.12.12

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