これはおいしいお寿司

No.35

アドベントカレンダー2024

-9日目

 放課後、部屋に戻るとアドベントカレンダーがなくなっていた。
 今日の朝までは何も変わりはなかった。
 丸一日休んで完全復活したジャックは、日課の朝ジョギングを終え、身支度をして学園へ向かった。そのときはいつも通りジャックのスペースはこぎれいに整えられ、レオナが昨日持ってきたアドベントカレンダーも机の上に置かれていた。夜にレオナの部屋に行って、また引き出しを開けようと思っていたのだが。
 何かの弾みで落としてしまったかもしれないと、慌てて机の周りを探すが、まったく見当たらない。懸命に朝の記憶を遡るが、部屋を出る直前まで確かに机の上に置いてあったはずだった。
 背中に伝う冷や汗に体が震える。
 安いものではなかったが、もう一つ買えない値段というわけでもない。昨日の分まで開けて、何食わぬ顔でレオナの部屋に行けば、なかったことにできる。
 だが、ジャックはそのようなごまかしは最後の最後までやりたくなかった。騙しているような気持ちになるし、何よりレオナと一緒に開け続けていたカレンダーじゃないと嫌だった。
 ドアの外から談話室で盛り上がっている声が聞こえる。
 ルームメイトなら何か知っているかもしれない。
 どたどたと大きな音を立て、ジャックは談話室に駆け込んだ。
 そこでは十人ほどの寮生が何かを囲んで談笑していた。ルームメイトも混ざっている。
 声をかけようと近づき、寮生の中心にあるものが目に入った。
 テーブルの上に広げられた色とりどりの駄菓子と――引き出しがすべて開けられ、床に捨てられたアドベントカレンダー。
 頭の中が真っ白になる。
 直後、顔が熱くなり、ルームメイトの胸ぐらを掴んだ。
「ジャ、ジャック、急になんだ!」
「おいハウル!」
「喧嘩か?」
「やっちまえ!」
 ジャックは低い声で唸った。
「俺の部屋から勝手に持ち出しただろ」
「え、え……ああ、アドベントカレンダーか? 面白いモン持ってるなって、いてててくるしい」
 怒りに任せて拳に力を込める。
 ルームメイトの足が浮く。
「人のモン盗んでいいと思ってんのか? ああ?」
「べ……別にいいじゃ、ねえか……たくさん、入ってるんだしよ……」
 何が悪いのかさっぱりわからないといった表情に、更に怒りが湧く。
「いいわけねえだろうが」
 ルームメイトの顔は苦しさで赤くなったり紫色になったりしていた。
「ハウル、死なない程度にしろよな」
「いいぞいいぞもっとやっちまえ」
「……そんな、だいじ、だとはしらな……」
 無責任な外野の声と、途切れ途切れの弁明はどこか遠くから聞こえてくるようだった。
 怒りに支配され、胸ぐらを掴んだまま何も考えられないでいると、ジャックの耳に真っ直ぐに届く声が聞こえた。
「何やってんだ、てめえら」
 脳みそが痺れるような感覚。
 背筋がぴんと伸びる。
 レオナの声だ。
 ほんの少しだけ理性が戻り、目の前の意識を失いかけているルームメイトに気づく。
 慌てて手を離すと、ルームメイトは床に落ち、喉を押さえて咳き込んだ。
 周りは喧嘩が終わったことに残念な顔をしているが、寮長の前であからさまに文句を言う生徒はいなかった。
 レオナの顔を見ることができず、近づいてくる足元を見つめる。
「なんの騒ぎだ」
 レオナが静かな口調で問うと、寮生は口々に返答する。
「急にハウルが喧嘩始めただけっすよ」
「な。俺ら菓子食って話してただけだったのにな」
「喧嘩の原因はわかんねっす」
 レオナの足がジャックの目の前で止まった。
「お前からふっかけたのか」
「……はい」
 頭から冷水をかけられたかのように、体中が冷たく、指先を握りこんだ。
 冷静になってみると、ちょっとしたおもちゃごときで面倒ごとを起こした厄介者でしかなかった。いつもならレオナにどう怒られようが、自分は悪くないと胸を張っていられたが、なぜだか今は冷たい目をしているであろうレオナの顔を見られずに、俯いたままでいた。
 ジャックの物を無断で持ち出して、中身をくすねるようなことをしたルームメイトに非があることは明らかなのに、喧嘩の原因がアドベントカレンダーであると言えなかった。
「お前は無駄な喧嘩はしねえだろ。わけを話してみろ」
 ため息交じりのレオナの言葉を聞いても、ジャックは口を開けなかった。
「……おれが」
 そうしていると、床に座ったままのルームメイトが消え入るような声で話し出した。
「おれが、ジャックのアドベントカレンダーを持ち出して、菓子をみんなで食っちゃったんす」
 それを聞いたレオナはテーブルに目をやり、そして乱雑に扱われてひしゃげているアドベントカレンダーを視界に入れた。
「こういうの、悪いと……悪いと思わなくって……すんません」
 次に黙るのはレオナの番だった。
 どうして黙っているのかわからず、ジャックの指先は冷たくなる一方で、うまく息を吸えなくなっていた。
 永遠にも思える時間が過ぎた。
「……そうか。お前の縄張りはお前が思っているより狭いってことを覚えておけ」
 淡々と、なんの感情も読み取れない声でレオナはルームメイトに告げた。
「っす……ジャック、悪かった」
 よろめきながらルームメイトは立ち上がり、テーブルの上の菓子をかき集め、アドベントカレンダーを拾ってジャックに差し出した。
「その、だいぶ食っちまったけど……」
「……菓子はやる。箱は……俺が捨てとく」
 ジャックはのろのろと差し出された物に視線を移し、ルームメイトの顔を見ないまま箱だけ受け取った。
「これで終わりだ。ジャックは俺と来い」
 レオナはそう言いながら、返事も待たずにジャックの手首を掴み歩き出した。
 談話室の喧噪が遠ざかる。
 向かった先はやはりと言うべきか、レオナの部屋だった。
 ベッドに腰を下ろすよう言われ、大人しく座るとレオナも隣に腰掛けた。
 ジャックは歩いているときも、部屋に入ったときも顔を上げられずにいた。
「ジャック」
 レオナに声をかけられ、びくりと肩を震わせる。
「そんなにアドベントカレンダーを全部開けられたことがショックだったのか」
 頷くこともせず、ジャックは唇を噛んだ。
 喧嘩の理由を知って、そんなことでくだらない、と言われるのが怖かった。
 レオナと毎日ひとつずつ開ける時間はいつの間にか習慣となり、独り占めするはずだった菓子を共有することが楽しみになっていた。その大切な時間を壊されたような気持ちでいっぱいだったが、レオナが同じくらい大切にしてくれているとは思えなかった。せめて言葉で聞かなければ、レオナの気持ちは知らずに済む。
 どうか言わないでくれと膝の上で握りしめた拳を見つめた。
「……あいつの故郷はなんでも物を共有する習慣がある。ラギーみたいなものだ。自分の両手に余るくらい物があるときは、仲間と分け合う。そんで、縄張り内にある物はすべて共有財産ってわけだ。お前たちの部屋はやたらと汚えが、あいつが部屋全体を縄張りと見なしているのが原因だ」
 まあ、物を片せねえ性格もあるだろうが。
 教科書を音読するような温度の声は、すんなりとジャックの中で落ち着いた。
 悪気がないのはわかった。ジャックや寮生のことを仲間と見なし、物を分け合いたいと思ったこともわかった。かといって、傷ついた心が癒やされるわけではなかった。
「許せとは言わねえが、あいつの行動の理由を知ったら無駄な喧嘩を減らせるだろ」
 そっと、握りしめた拳にレオナが触れる。
 その手はジャックよりも冷たかった。
 ジャックはゆっくりと口を開いた。
「……もう、先輩とアドベントカレンダーを開けられないっすね」
 なんでもないように、無理矢理笑った。
「部活から帰ったら俺の物がなくなってるんで、つい怒っちまいました」
 全然傷ついてなんかいないし、ショックを受けているわけでもない、ただ自分の縄張りを荒らされたことに腹を立てていただけだと、そう見えるように。
 目頭が熱くなり、慌てて天井を見上げた。
 レオナの手が、優しく拳を包む。
 体温が混ざり合い二人の手の境界が溶けるにつれ、ジャックの強がりもほどけていった。
「……今日の菓子はなんだろう、先輩はどんな反応するだろう、先輩とどんな話できるだろう、いつ先輩のとこに行こう、って毎日考えるのが楽しかったんです。ほんとは、菓子の一つもあげたくなかったのに。あいつらにはあげたくないけど、先輩にならいいって思ったんです」
 傍らに置いたアドベントカレンダーは空っぽで、ジャックの心にも空洞ができたようだった。
「全部なくなっちまって、少し、寂しいような。先輩と何かできるのがすごく嬉しかったのに、もうできないのが悲しいです」
 震える唇がすべて話してしまった。
 どのような返事でもこれ以上傷つくまいと、身構える。
「そうだな」
 レオナの続く言葉を待ちながら、全身を固くする。
「俺も、お前と開けられないのが残念で仕方ない」
 予想していなかった返事に、恐る恐るレオナの顔を窺った。
 いつもの皮肉が込められた上っ面の丁重さかと思ったが、腹の立つ笑みはどこにもなかった。
「だが……お前が思っていた以上に腹を立てていたことに嬉しくなっちまった。お前も俺と同じくらいあの時間を大切にしてくれていたんだと」
 見たことのない優しい笑みを浮かべるレオナを見て、ジャックは思わずレオナの額に手を伸ばした。
「――なんだ、熱はねえぞ」
「ほんとだ。じゃあ、酒でも飲みました?」
「酔ってもねえ。失礼な奴だな」
 額に当てたジャックの手に、レオナの手が重なる。
「まあ、いい。今日の分――はなくなっちまったから、実家から送られてきた箱でも開けるか」
 レオナの目が楽しそうに細くなった。
「それってどういう」
「たまに送られてくるんだよ。なんの記念日でもねえってのに、あっちの気まぐれでよ」
 そう言ってレオナは散らかったベッドの下から小さな箱を引っ張り出してきた。
 離された手が少し寂しい。
「もしかして、プレゼントとか全部ベッドの下に?」
「ラギーにやったりしてるが、開けるのも面倒なときはここに突っ込んでる。ラギーはベッド下はデリケートゾーンだとかわけのわからねえことを言って、埃を取るくらいしかしねえし」
「ああ……」
 ラギーが深入りしない理由に見当がつき、ジャックは遠い目をした。
「今日開けたら、それはもう一種のアドベントカレンダーだろ」
「違う気がしますけど」
 うっすらと被った埃を払い、レオナは小箱を開けた。
 二人で額を合わせて中を覗きこむ。
 箱の中にはぎっしりとどんぐりが詰め込まれており、そして――。
「先輩がさっさと開けねえから!」
 ジャックが叫ぶと、レオナは箱を窓の向こうへ力一杯投擲した。
 二人とも顔を青くしていた。
「あれ送ってきたのって」
「チェカだろうな……」
 鳥肌の立った腕をさすりながら、レオナは呻くように言った。
「そういや十月くらいに電話で、どんぐりがどうこう言ってたような」
「ちゃんと話は聞いてあげてください」
 ショッキングな光景を忘れようと、ジャックは何度もまばたきをしてあちこち見回した。
「木の実を送るなって言っとく」
「それもっすけど、もらいモンはすぐ開けてください。もしかして、まだどんぐりの箱があるかも」
「ジャック、開けるの手伝え」
「嫌です」
「なんでだ」
「食い物があったら腐ってそうだし、元々先輩に贈られた物だから先輩が開けるべきだし、何より量が多すぎて嫌っす」
 ベッドの下を覗きこむと、向こう側が見えないくらい物で溢れていた。これを今からすべて開封するとなると、夜が明けてしまいそうだ。
 にべもなく断ると、レオナはため息をついてベッドに寝転がった。
「はあ、最悪だ」
「頑張ってください」
 虫が怖いわけではないが、あまりにも酷いものを目にしたので、ジャックはしばらく箱を開けられなくなりそうだ。
 うっかり思い出してしまい、また尻尾が膨らんだ。
「もう涙は引っ込んだか」
「おかげさまで」
 代わりに胃の中身が出てきそうだが。
「なあ、ジャック。明日……」
 レオナは寝転んだままジャックに声をかけ、途中で口をつぐんだ。
「いやなんでもねえ」
 言葉の続きが気になったが、明日から来なくていいと言われたくなくて、ジャックは聞かなかったことにした。
 二人とも黙りこくって、どちらかの腹が鳴るまで秒針の音を数えていた。

 

 

Twitter投稿2024.12.16

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