これはおいしいお寿司

No.41

アドベントカレンダー2024

-15日目

 あのジンジャークッキーには何が入っていたのだろう。
 柔らかな甘みと引き締まった辛みの中に、ほろ苦さを感じたような気がした。
 クッキーに目を落とすレオナの柔らかい微笑みを思い出す度、胸に苦いものが広がる。
 怒りや悲しみとは別の、知らない感情が湧いている。
 その感情の名前を知りたいような、知りたくないような、誰かに打ち明けてしまいたいような、一人で閉じ込めておきたいような。そんな矛盾を抱えていた。
「何よ、そんな不機嫌そうな顔をして。いかなるときでも自分を曝け出しすぎるのは、弱点を見せびらかしているのと同じよ」
 休み時間、ジャックがどこかしらの内臓にムカつきを覚えながら廊下を歩いていると、しかめっ面のヴィルに呼び止められた。
「っす。そういう先輩も眉間に皺寄ってるっすよ」
「アンタがあまりにも負のオーラを纏っているからよ。アタシは隠すべきときには隠してるからいいの」
 本当に隠せているだろうか、と案外表情豊かなヴィルを思い出しながら、とりあえず頷いた。
「何があったかなんて言わなくていいわ。アンタの相談相手になっている暇はないから。ただ……そうね、気が立っているなら甘いものでも食べたらどうかしら」
「甘いもの?」
 昨日クッキーを食べたばかりなのに、と思わず口をへの字に曲げた。今一番思い出したくないものだ。
「甘いものは嫌いじゃないでしょ。ほら」
 ヴィルが鞄から出してきたのは、透明な袋に入ったドライフルーツだった。林檎やミカンなど、様々な種類の果物が入っているようだ。
「先輩は食べないんすか」
「ファンからいくつももらったのだけれど、果物って健康的に見えて意外と糖分が多いの。残念だけれど今は食事制限をしているから、多くは食べられない。だから少しだけ残して周りに配ってるのよ」
「そうなんすか」
 それならばと受け取る。よく見ると、ただ乾燥させただけではなく、砂糖がまぶされていることに気づいた。なるほど、カロリーが高そうだ。
「アンタもいろいろ計算しているだろうけれど、一袋くらいなら問題ないでしょう。一度に食べ過ぎないように」
「っす」
 礼を言い、その場を離れた。
 袋を開けて一つ食べる。マンゴーだ。
「あまっ」
 凝縮された甘さが口内にべったりとまとわりつく。かすかに感じる酸味では太刀打ちできない。
 慌ててペットボトルの水で流し込んだ。
 
 腹いせかと聞かれたら、腹いせかもしれない。
 悩んだ末にどうにでもなれと今日の分を入れたアドベントカレンダーを手に、部屋を訪れる。
「……失礼します」
「おう」
 ゆっくりと足を踏み入れる。
 レオナはいつも通りベッドの上で寝転んでいるが、顔はこちらを向かない。
 目が合わなくてよかったと胸を撫でおろすが、こっちを見ろと勝手なことも思う。
 そっちがそのつもりならばと、そっぽを向きながらベッドに腰かけた。
「今日の、どうぞ」
 ずいっと素っ気なくアドベントカレンダーを押しやる。
 視界の片隅で、レオナがしばらく動かないでいたのちに、ゆっくりと手を伸ばすのを見ていた。
「ドライフルーツか」
「いろいろ、種類あるやつです」
 ヴィルからもらったドライフルーツを小さく切り、ラッピングフィルムで包んだだけのものだった。
「あめえ」
 レオナの声に喜んでいる気配はなく、ただ目の前にあるものを食べている、それだけだった。
 特別に用意したものではないからか、反応が薄いことに意外と落胆せず、ジャックは空を見つめていた。
 ある程度時間が経ったら出ていこう、ぼんやりと考える。
 今日は適当に過ごしたい、そんな気分だと思った。そんな日もある、と言い訳のように心の中でつぶやく。
「これ、最近どこかで見たことあるな」
「ドライフルーツなんてどれも同じだと思います」
 人からもらったものをそのままラッピングしただけ、と言いづらくて適当に返した。
「俺の手作りじゃないんで、普通に見たり食べたりしたことはあるかと」
 手作りであっても、腕の立つ人が作ったら商品と変わらない出来になるだろう。少なくともジャックには見分けがつかない。
 昨日の手作りジンジャークッキーを思い出して、なんとなく腹立たしくなる。
 ジャックの大きな尻尾が勢いよくベッドを打った。
「ああ、思い出した。ここ二、三日ポムフィオーレあたりの奴らが食べているのをよく見たな。お前もヴィルからもらったのか?」
 目を合わせなくても、レオナの視線が鋭いことは痛いほど感じた。
 名指しではっきりと聞かれて、嘘はつけなかった。
「……そうです。今日もらって」
 今になって、適当に選んだことにうしろめたさを感じる。
 レオナにどう思われるかではなく、一回でも手を抜いたという事実が自分に存在することに腹も立つ。
「昨日、クッキーがそうだったから、もらいもんを入れてもいいって思って」
 自分に腹が立っているのに、言い訳がましく責任を押し付けるような言い方をしてしまう。
 そうだ、レオナだってエペルからもらったクッキーを選んだのだから、気にしなくったっていいはずだ――。
「別に何を入れようが互いの自由だけどよ。これ、食ったか?」
「ええ、はい」
「うまかったか?」
「……甘すぎました」
「そうか」
 感情を削ぎ落とした声音の質問が終わると、重苦しい沈黙が残った。
 ぴりぴりと体中の毛がざわめく中、ジャックはまずいという経験を共有して楽しもうというわけでもないのに、おいしくないと感じたものを贈ってしまったことに気づいた。
「あのクッキー、うまかったから」
 沈黙を破って聞こえたその声があまりにも小さくて、思わずそちらを向いた。
 レオナは俯いて、床を見つめていた。長い髪に隠れ、表情はわからなかった。
「お前と分けたいと思って、取っておいたんだが」
 レオナの声は震えていた。笑っているようにも、泣きそうなようにも聞こえた。
 背筋に冷たいものが流れる。
「お前にとって、俺はなんだ」
 憧れの大切な先輩だという、その一言が言えなかった。
 大切ならばこんなことにはならなかっただろう。
 レオナに手を伸ばそうとして力が入らず、膝の上でわずかに動くのみだった。
「でも……だって、先輩が笑ったから」
 喉から声を絞り出す。
 普段だったら、このドライフルーツは選ばなかった。もっと吟味して、最高のとっておきを探し出した。
 でも、そもそも。どうでもよくなったのは。
「先輩が、エペルからもらったクッキー見て笑ってたから。なんかむしゃくしゃしました。食べたらおいしくて、もっとむかむかしました」
 どうしてそうなったのかもわからず、でも昨日のことが原因であることだけはわかっていた。
 あのとき、クッキーを奪われて呆然とするレオナを見て満足感を確かに得たが、直後に馬鹿馬鹿しくなってしまった。クッキー一枚食べられたからといって、レオナがどうなるとも思えない。
「作れって言われたら俺だって頑張って練習して作ります。でも、先輩が食べたかったのは、エペルのあのクッキーだと思うと、俺はどうしたらいいかわからない」
 自分でも整理がついていない感情を打ち明けられても困るだろう。
 だが、レオナは顔を上げ、真剣な目をして聞いてくれていた。
 余計に情けなさを感じ、すべてを終わらせたくなった。
「だから、すみません。八つ当たりしました」
 ちっぽけでつまらない感情に振り回されて、酷い当たり方をしてしまった。
 失望されてしまうだろうか、見限られてしまうだろうか。今日これっきりになってしまうだろうか。
 こんな奴だと思ってなかった――と言われるには過大評価しすぎているかもしれない。
 レオナの手がゆっくり上がるのを見て、目をつむって歯を食いしばった。
 だが、想像していた衝撃は来ず、代わりに頬に温かいものが触れた。
 それは頬を捏ね、輪郭を撫で、いたわるように唇をなぞった。
 状況を把握できず、恐る恐る目を開ける。
 優しい笑みと呼ぶには、ジャックをまっすぐに見据える瞳が熱すぎた。
 夏色に燃える瞳に射抜かれたと気づいた瞬間、両耳の近くに心臓があるかのように、鼓動が早足で騒ぎ出した。
 全身が熱くてたまらないのに、目を逸らせない。
「お前が作るって言うなら、そいつを一番食べたいに決まってるだろ」
 レオナに顔を両手で包まれ、幼子に言い聞かせるように言われたら、すべて本当のことのように聞こえる。
 今ならどんな嘘をつかれても信じてしまいそうだ。
「お前のそれは、嫉妬って言うんだ」
「……嫉妬」
 ジャックはオウム返しに呟く。
 その言葉と意味は知っていた。だが、自分には無関係のものだと思っていた。
「嫉妬だ。嫉妬したんだろ、なあ」
 知らない感情を教えてくれる言葉は、じんわりと、どこか懇願の色が混ざっているように聞こえた。
「どうして」
「お前以外のことを思って笑ったように見えたんだろ、そうだろ」
「多分、でも」
 気づけばレオナの睫毛が数えられるくらいの距離にいた。
 鮮やかな草むらに映るジャックは、口が半開きの間抜け面をしていた。
「そうだと言えよ」
 夏の草原が一瞬揺らいだ。
 ――レオナの吐息が唇に触れる。
 果物と砂糖の甘ったるい香りが通り抜ける。

 

 

Twitter投稿2024.12.25

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